イギリスに移住して夫と暮らすようになってからしばらくして、自然と子供が欲しくなった。
ほんの数年前までは結婚願望もなく、経済的・精神的な負担を考えても子どもをもつことは絶対に無理だと思っていたので、その頃の私には想像もつかないような変化が起こったのだった。変化のきっかけは、こちらの家族の姪っ子ちゃんたちが懐いてくれて子どもに対する嫌悪感が吹き飛んでしまい、その嫌悪感の原因ともいえる自分の子供の頃の体験や記憶と向き合うようになったからだった。あとは、私が先に死んだ場合を想像したとき、支え合える家族を夫に残してあげたいと思った。
身体的な問題や運もあるだろうし妊娠・出産ができるかどうかは分からないので、それに関してはできる限りのことをするしかなく、子どもがもてなかったらその人生を受け入れるつもりではいる。ただ、子どもが欲しいと思い始めてから私にとって問題となったのは、自分が子供の頃に受けた虐待と向き合うことだった。
自分は子供の頃の虐待で傷つき、既に壊れている。虐待の連鎖を止めるには、子どもを産まないのが一番だと思っていた。
子どもを産み育てるとか絶対に無理、やりたくないと思っていたのは、自分の子供の頃が不幸だったからで、自分も母や父のように子供に虐待してしまわないかと怖かった。日本では共働きにもかかわらず、家事・育児の負担は女性にかかる可能性が非常に高いが、仕事・家事・育児をこなしながらの生活で自分にかかる負担やストレスを、自分より弱い子供に向けて当たり散らしてしまわないかと考えると怖かった。
親である自分の役に立つように子供を教育し、自分の老後まで言うことを聞かせて支配し、一生子供を苦しめるような親に育てられた子供は不幸だが、こういう親子関係は少なくない気がする。老後が心配だからと子どもを産み、子供を虐待しておきながらその子供に老後の面倒を見てもらおうなんてよく思えるなと思っていたので、そんな家族ならいらないと考えていた。
そんな家族が私の当たり前だったから、そう考えたのも仕方がないとは思う。でも親子関係、家族関係が暴力や虐待で支配されていなければ、夫の家族のように当たり前のように助け合うのだろう。
私は壊れているので、家族関係や子育てとなれば他人の助けが絶対に必要で、その助けを得られるかどうかが重要だ。夫の家族は私の家族に欠けているものがあり、たぶん助けてくれると思えるし、男性も家事・育児をやるのが当たり前の環境なので、夫もたぶん当たり前のようにやるだろう。
私はしばらくはイギリスで働けないだろうし、仕事・家事・育児に日々追われながらの生活でストレスがかかることは、恐らくない。そうすれば、自分よりも弱い子供に虐待してしまう危険性は減る。あとは一番重要なこと、子どもとどう向き合っていくかを考えればいい。
その為に今、精神的に負担のかかる読書をしている。
私の生き方に大きな影響を与えた安冨歩さんお勧めの、アリス・ミラーの本「For Your Own Good(翻訳本『魂の殺人』)」、「The Drama of Being a Child(翻訳本『才能ある子のドラマ』)」を泣きながら読んだ。
「才能ある子のドラマ」という訳は、元々の書籍名が”Being”ではなく「The Drama of the Gifted Child」の訳だったからなのだろう。再版される際に変更になったらしく(才能ある子だと対象が限られる気もするのでこっちの方が親近感はある)英語の本を買うときに迷ってしまったが、この本はイギリスのAmazonのFamilies & Parents内のカテゴリーでベストセラーに先日までランクインしていた。日本でももっと読まれた方が良い本だとは思う。子どもの頃の虐待が、その子の人生にどれだけ影響をもたらすかが分かる。
アリス・ミラーが書いている第一次・第二次世界大戦期の時代背景と今では異なるので、ここまでの虐待は少ないかもしれないが、今の時代は別の形で虐待されているだけで虐待されていることに変わりはなく、参考になる。子どもの頃に親に何をされたかを思い出すので読むのが辛く、読み終わるまでに時間がかかったし、しばらくは情緒不安定の日々を送ることとなった。
読むのがめっちゃ辛かったのだが、これに向き合わなければ私も虐待の連鎖に加担してしまうかもしれないので、自分の成長のため、子どもを守るためにも読んで考えるべきだ。子どもだった自分はどうしてもらいたかったのかを考えた時、思い出せるどんなシーンにおいても「私の気持ちを聞いてもらいたかった、私がどんな考えでその行動に及んだのかを聞いてもらいたかった」のだと気が付いた。
体罰を受けながら叱られた時の記憶は全て、「なぜ怒られたのか」が分からないものだ。覚えていないのではなく、理由が分からなかったのだ。自分に非があり、叱られた理由が納得のいくものであるなら、こんな風に覚えてはいないだろう。「親にとって都合の悪い」その理由が子供の私には分からなかった。
私が親にとって都合の悪いことをしたとき、彼らはいつも一方的に解釈して私の考え・感情は無視だった。親が私を理解しようとすることはなく、私が親の考えを推測し、私が親にとって都合のいい考え方や行動をするように仕向けながら育てた。私が自分の考えや感情は間違っている、こんな考えをもってはいけないんだ、こんな感情をもってはいけないんだ、私が悪いのだと自分の考えや感情を自分でも無視するしかないような状態にした。
親から私の考え・気持ちを聞かれたことがなく、私の考え・感情は無視されていた。
一人の人間として尊重してもらえなかった。受け入れてもらえなかった。親から愛されてなどおらず、社会や自分の親・家族などから支配を受けてきた私の親が都合よく支配できる相手としてしか扱われていなかったから、こんなに苦しかったのだ。私にこの暴力の連鎖を止められるだろうか。
子どもの考え・感情を無視しないで育てる、自分の考えや感情も無視しないで向き合う、子どもからのフィードバックに真剣に向き合い私からも欺瞞のないフィードバックをする、私から子供に愛情を示す、これができればきっと子供ともお互いを尊重した人間関係が築けるのではないだろうか。
子供を妊娠できるかは分からないし、私たち夫婦には子供のいない人生になるかもしれないけれど、もし子どもをもつ機会が与えられたら、実践しながら成長していきたいなと思う。次に読みたいアリス・ミラーの本は、「Breaking Down The Wall Of Silence(翻訳本は「沈黙の壁を打ち砕く」)」これも読むのに時間がかかるだろうが、読んで自分の成長につなげたい。
さて、30代後半の妊娠は難しいと聞くけれど自分はどうだろうか。自分にはコントロールできないことだし、長期間になるとストレスだろうなあ。