2023.7 ブログ名を変更しました
「他人にどう見られるか」を気にしすぎる原因

「他人にどう見られるか」を気にしすぎる原因

先月フォトウエディングをした際に、夫との写真選びや写真を見た人からの感想で、どれだけ私たち日本人が見た目と年齢を気にしているのか、完璧を求めすぎているのかということを考えさせられました。

私たちが選んだ写真館では、写真を撮ってからアルバムに使用する写真を選び、2か月後に修正された綺麗な写真でアルバム完成…という流れでした。

私たちが選んだ写真館だけが特別なのではなく、多くの写真館では「綺麗に修正した写真が残せる」というのをウリの一つとしているのではないでしょうか。

基本的には一生に一度のことですし、一番綺麗な姿を残したいという思いを持つ女性も多いと思うので、それはそれで価値があるサービスだと思っています。

私も綺麗な写真を残したいなあ…と考えていましたが、修正されすぎているような写真はどうしても好きになれなかったので、修正しすぎないようにお願いしました。

まだ出来上がっていないので、仕上がりは確認できていませんが、どうか「作られた感」満載の写真にはなりませんようにと願うばかりです。

この考えにはイギリス人の夫も賛成してくれました。むしろ修正された写真のサンプルを見て、光で飛ばしすぎ等、色々思うところがあったようです。

実際に、夫の家族が見せてくれた夫の姉のウエディング写真には、日本でされているような多くの修正はされておらず、自然な表情が見れて、自然な美しさを楽しめるものでした。(プロに撮ってもらっただけあって素敵な写真が多かったです)

さて、修正しすぎの写真は嫌だと思っていても、アルバムには映りの良い写真を選びたいと考えていました。

そんな中、夫とどの写真をアルバムに入れるか選ぶ際に、選ぶ写真の意見が分かれました。

何が違ったのかというと、彼は思いっきり笑って表情が崩れ、皺くちゃな私の顔が映っている写真を数枚気に入っており、それを選びたいと言ってきたのです。

私としては、こんなに派手に笑って皺くちゃな写真選ばなくてもいいじゃないか、もっと綺麗に映っているのを選びたいと伝えました。

しかし、夫が言うには「これが自然で楽しそう・幸せそうに見えるし、どんな表情でも君だから美しいよ」とのことでした。

そういってくれるのは嬉しいけれど、この写真は好きになれない…と葛藤し、結局は妥協点を話し合い私がどうしても嫌だった一枚は、ナシにしてもらいました。

写真選びは話し合いが必要でしたが、おおむね満足していますし、撮影した全データも購入したので時々眺めて楽しんでいます。

そんな中、アルバムができる前に修正なしのデータを母に見せたところ、ここでハッと気づかされるコメントをもらいました。

笑いすぎ、若くないんだから皺だらけの顔、そういった笑いすぎの写真が多い…つまりウェディングフォトなのに皺くちゃで不細工な写真があるけどいいの?みたいな感じです。

また、選んだ着物は私に似合っていてベストなものだったと自負していますが、母から言わせれば「年齢的にこれしか選べなかった」からいい選択をしたね、ということでした。

私がなぜ、夫が選んだ写真が嫌だと思ったのか、それは母から言われたことに繋がっていると気が付きました。

「他の人(私の母のように見た目のことばかりコメントし、相手が傷つくことを平気で言う人)が見たらどう思うか」という視点を、私は少なからず持っていたのです。

母だけではなく、この皺くちゃな顔の写真を他の人が見たら、母が私に言ってきたのと同じように思うかもしれない、だから嫌だと思ったのだと。

実際に、母から言われましたし。(いつものことなのですが。これに関しても、もちろん根に持ってます 笑)

特に母の周りにいる人は、母と同じように見た目や年齢に関してネガティブな反応をすることが分かっていました。

母に写真を渡せば、その周りの人も見るからいろいろ言われるだろうな…と、私は無意識のうちに気にしていたのでしょう。

「インスタ映え」という言葉に象徴されるように、どう良く見せるか、どう見られたいかという他人目線が重視されている風潮は、少なからず今の日本にもあります。

だから修正して綺麗に見せるのがウリになりますし、ウェディングなのだから綺麗に残すのが当たり前という感覚にもなりますし、見られるという他人目線でどう見えるのかを重視し、選択する傾向があるのでしょう。

完璧な状態に見せなければならない、完璧でなくてはいけない…という考えが、奥に潜んでいる気がします。

完璧であるべきという視点がスタートだから、母のようにマイナス面に注目して見る癖がついている人は、結構いるのではないでしょうか。

そういった相手から、何と言われるかと考えてしまう。言われたことに傷つくから、他人からどう見えるのか気になってしまう。

…と、ここまで考えて私は、これが嫌だったのだと認識できたのです。

これは私だけに限らず、日本で生活していたらこういった「周りからどう見られるか・どう思われるか」ということを気にしないでいるのは、難しいのではないでしょうか。

それとは違い夫は、自分の目から見ていいと思う写真、自分たちにとっていいと思う写真を選んでいました。

自分たちの記念の為に撮ったものなのだから、自分たちがいいと思う写真を選んでいいんですよね。

ここで人の目を気にする必要は無いんだと気が付きました。

夫のおかげで数枚は自然に楽しそうに、幸せそうに笑っている写真が残せてよかったです。

因みに母には、修正した映りの良い写真だけ渡す予定です 笑