タイトルの通りである。
私は、英語の上達を諦めることにした。なぜなら、日本語の能力を鍛える方が私の性質に合っているし、私の書く能力の向上につながるからである。
私は「なぜ?」と問い続け、考え続けることを止められない。頭の中でごちゃごちゃと考えるのは内省言語と言われるが、私はこれを止められない。
これは私の性質で、変えることはできない。
そして私は、この内省言語をずっと日本語で行っている。英語で抽象度の高い事や複雑なことは、私の英語力では考えられないからである。いつか英語が上達したらできるかもしれないが、何年かかる?日本語で考えることが止められないのに?と考えると、そこまで自分の英語力を向上させるのは無理だと思ったのだった。
日本語で考える時間を長く取っているのだから、英語を使う時間は必然的に減る。英語を使う時間が少ないことが英語が上達しない原因であることは、随分前から分かっていた。
それでも、もういいや、と思った。
自分のこの性質が原因で生きづらいことは確かだが、これのお陰で面白い道を進めたというのも事実である。そして何より、この性質のお陰で、書くことで依存先を生み出せていたことに気が付いたからだ。
奨学金という名の借金を返済できたのは、美容の仕事で得た知識と自分の美容観を書いたホームページのアドセンス収入のお陰である。そこで書いた記事の多くに、私の美容に対する思想がにじみ出ていた。そのホームページには、細やかではあってもファンになってくれた人がいて、Facebookでシェアしてくれたりメッセージをくれた。
このホームページは、人との繋がりと収入を生み出す、私の依存先だったのだ。今は閉鎖してしまったけれど、私は確かに依存先を自分で作りだしていた。細々と続けているこのブログも、同じである。私の依存先に成っていた。
美容のホームページでは私の思想がにじみ出ていた、と先ほど書いたが、最近ようやく気が付いたのだ。私はずっと前から、ホームページやブログを通して経験から得られた自分の価値観の変化や思想を書いていたのだ、と。
そしてそれを、今度はnoteに放出してきた。10年以上細々と書くことを続けてきて、やっと気が付いたのだった。
これは、私の性質なのだろう。今更これを変えることはできないし、この能力を鍛えたおかげでできたことがあると考えると、もう受け入れようと思った。
そしてこれは、英語の能力とトレードオフの関係である。
この性質や能力を維持もしくは成長させたいのであれば、英語の時間は必然的に減る。noteで書くことばかりしていたこの1か月は日本語漬けになっており、夫の言ったことをキャッチできないことも多かった。
でも、日本語で考える事、書くことが止められないので、もう仕方がない。受け入れよう、と思ったのである。
重要な手続きなどは夫の助けが必要だが、生活には困っていない。基本的に言いたいことは言えるし、突拍子もない事や複雑な道案内でもない限り、英語が聞き取れないことも殆どないから、もう十分だろう。
今のところは、なので今後変わるかもしれないが、英語に関することで自分を責めるのは、もう止めようと思ったのだった。
