小さいころから、日本で言われる「普通」の人生を送ると、漠然とではあるが当然のように思っていた。…というより将来の夢など特にはなく、将来については何も考えていなかったように思う。
小さいころに何を考えていたかは、もう忘れてしまった。
ただ、小学生になったころから強烈に感じていたのは、学校が嫌いで仕方がないということだった。みんなと同じでなければならない、ルールを守って言うことを聞かなければならない、極端な話ではあるが毎朝同じ時間に起きて、時間割通りに行動しなければならないのも嫌だった。
私が思っていた「普通」というのは、将来は恐らく結婚をして二人くらい子供を産み、家事・子育てしながらパートタイムで働くというものだった。私の母がやっていたように。今こそ、こういった「普通」と言われるものがだんだん通用しなくなってきているが、当時の私はただ漠然とこういった人生しか思い浮かばなかった。
今思うと、それ以外の生き方を知らなかったのだから当然かもしれない。
郊外の住宅地に住み、周りに住んでいる家庭もこういった「普通」の家族で、親戚も似たり寄ったりの家庭環境だったのだから、他の生き方を知る機会もない。私の周りではこの生き方が「普通」だった。
しかし、学校も嫌いだったし、何となく自分はこの社会に適応できない気がずっとしていた。そして、この「普通」がどうやら私には無理だと気が付いた。
そこからが大変である。
自分の周りには「普通」の家庭がほとんどで、それ以外の生き方なんてよく分からない。ただ、シングルマザーは日本の社会の中では弱者であろうことは容易に想像できたので、経済的な面を考えると自分には絶対に無理だと思ったし、とりあえず結婚・子供はなしを前提にした人生を自分で考えなけらばならない。
ここでも、また漠然と先を考えるしかないが、一生独り身で生きていけるだけの経済力を持つ必要があることだけは分かっていた。自分一人は食っていけるだろうと、手に職をと思い選んだのが美容師である。労働環境・労働条件が悪く後悔したこともあったが、自分らしい選択だったと思うし、私には必要な経験だったと考えているので、今は全く後悔などしていない。
ただ今でも思うのは、自分の生き方を見つけるのは難しい、ということだ。
こういう風に生きたい、というロールモデルになるような人がいればイメージがし易いだろうと思い、調べて参考にしようとしたが無理だった。
「普通」以外の生き方を知ろうとしても、私などが得られる情報は「女性の成功者」で、彼女達のような才能も環境も運もない凡人である上に、引きこもりの私には参考にはならない生き方である。
多くの人が名前を知っているような大成功をしている女性ではなくても、私から見ればとんでもないハードワークをしていた凄い人だったり、それに加えて高学歴だったり、そもそもこの社会に適応して結果を出している感じがする人も多く、これも参考にならなかった。
結局、自分で自分の生き方を見つけるしかないのだ。
「普通」は無理だと、「普通」には生きられないのであれば、自分で自分の生き方を決めていくしかない。
自分の育った環境や受けてきた教育は人生に大きな影響を与えるが、大きな影響を与える事なのに自分で選べない。日本の教育は、私の親世代が送っているような「普通」の人生に適応する人を作り出すためにあると思っている。
「普通」の人生に適応して生きるために教育されてきて、自分の周りにもそういった生き方をしている人しかいなかったのなら、その「普通」以外の人生が選択肢にすら入らないことが多いのではないかと思う。
何となく生きづらさを感じていても「普通」以外の生き方はよく分からないし、そっちを選ぶと少なからず自分の周りに波風が立つような気がするので勇気が要る。周りの目を気にしてしまったり、結局目をつむって考えるのを止めたりすることもあるだろう。そうなれば「普通」以外の生き方を選びにくい。何も考えず生きてきて、大人になってから「普通」から外れるのは難しい。
それでも「普通」が無理ならば、見えない道を手探りしながら、時には戻りながらでも自分で歩いていくしかない。
こういったことを、子供の頃に知りたかったなとは思う。自分の好きに生きていい、いろんな生き方があるのだから自分で考えろ、正解はないのだと。所有することも、選択することにも責任は伴うと、もっと早いうちに知っておきたかった。
人に知られるような有名人でもなく、大きな成功をしている人でもなく、そこそこの成功さえもしていないような凡人でも、その人が幸せに生きられているのならそれで十分で、そういった凡人の生き方がしたい。
僕の前に道はない
高村幸太郎の詩「道程」より抜粋
僕の後ろに道は出来る
これからどう生きていくかを考えるとき、高村光太郎の有名な詩『道程』の最初の2文を思い出すようになった。誰かの本で、「自分の後ろには道なんてできないけれど、自分の前に道はないのは私も一緒」と言っていたのが印象的だったからだろう。
私の後ろにも道なんてできなくていいけれど、前に少しでも道らしきものが見えたらいいのに、と思うときはある。
でも、やっぱり自分の前に道はないから、凡人なりに足掻きつつ生きていくしかない。想定外のイギリスで、想像もつかなかった感染症の影響がある中で、凡人なりにできる事をやって生きていこう。