日本から出たいという気持ちとグローバル化への嫌悪

日本から出たいという気持ちとグローバル化への嫌悪

07/02/2020

最近、なぜあんなにも日本から出ることを望んでいたのだろう、と考えることがある。

日本から海外に移住したい理由として、日本の同調圧力や少子高齢化で国力が低下するとか、若者に不利な政治等を挙げる人もいる。確かに、自分らしくなりたいし精神的に自由になりたいから、海外に行けば同調圧力に晒されず、もっと生きやすいかもしれない。

少子高齢化で自分たち世代の負担は大きく、生活が厳しい。将来のことを考えると結婚できない・したくない、子供をもてない・もちたくない。…かといって1人で生きていくとしても、健康を害したら即貧困。貧困におびえ、将来に希望が持てない国で生きるのが辛い。

監視社会で精神的に病んでいそうな人も多いし、日本の経済政策がいかに間違っていようとも、自分ではどうにもできないから逃げた方が賢明かも…と。少し前までの私もそう考えていたのだが、どうも腑に落ちなかった。当然だが、海外移住したからと言って幸せに生きられるとは限らないからだ。

今思うのは、「どこで暮らすか」よりも「誰と共に生きるか」の方が大事だということ。私が日本から離れてみたかった一番の理由は、「親から逃げたかった」からである。

なぜ海外で暮らしてみたいのかということに向き合った時、私はグローバル化に対してネガティブな面が気になってしまった。

グローバル化の流れに合わせて生きるのは、たぶん無理

以前の私は、日本はこれから衰退していくので、アジアで経済的に勢いのある地域に行った方が快適に生きられそうだと思っていた。英語を学ぶ必要はあるが、基本的には円の方が強いので少ないコストで暮らせるだろう。

しかし、語学学習と観光の為に行ったフィリピンである体験をし、グローバル化に沿って生きることに拒絶反応が起きた。観光がてら、セブ島でアイランドホッピングに1人で行った時のこと。アイランドホッピングはボートを貸し切り、近くにある美しい島に遊びに行くものなので1人で利用するのは稀なようだったが、そこは気にしない。

さて、そこの島にあるトイレで、水の入ったペットボトルを持ち、人が使うたびに水を流す女の子を見かけた。どうやらそれが仕事のようだ。その子の笑顔が、凄まじく可愛かった。瞳がキラキラして美しくて、照れたり嬉しそうにしたりする表情も豊かで、何か私が日本で見かける子どもとは違くて目が離せなかった。

日本なら、このくらいの子供は平日のこの時間は学校に行っているはず。どれほどの教育を受けたかは、その子の将来に大きな影響を及ぼすので、私はできる限りの教育は受けた方が良いと考えていた。しかし、この子は教育は受けていないようだが、日本の同年代の子供では見かけないほどの美しい瞳と笑顔を持っていて、幸せそうだった。

その子を見てから、その美しい島で、幸せとは何だろうかと考えずにはいられなかった。日本から出て、ただ途上国で快適に暮らせれば幸せか?何か見落としていないだろうか?と。

その数日後、フィリピンの語学学校の先生と話した時のこと。その時私は、先日のアイランドホッピングを1人で楽しんだという話をしたのだが、彼女はかなり驚いていた。「1人で行った」から驚いていたのだけれど、ただ単に1人で行ったということに驚いたわけではなかった。

私が、旅行先のフィリピンで現地の人の月収分を、1人でアイランドホッピングに行く為に使う、ということに驚いたのだ。私はそんなに裕福なわけではなく、貧困を心配するただの独身女性だったが、そんな私でもたった一日数時間を楽しむために支払えてしまう金額が、彼女の月収だった。

彼女は現地の大学を出ていて、フィリピンでは良い給料をもらっているし、スマホだって持っている。生活に不自由はなさそうだ。恐らく現地では恵まれた家庭で育ったのだろう。それなのに、日本に行きたいという。

日本でならこんな風に陽気に働くことはたぶん難しくなるだろうし、働いても働いても税金で持っていかれて生活は苦しくなるだろう。それを知らないから、そう言えるのだ。おそらく、日本に行くくらいならこのままフィリピンで生活していた方が、貧困に陥る可能性は低いだろうし、彼女にとっては幸せなのではないだろうかと思った。

だから、その先生が日本に行きたいと言っているのを聞いて、複雑な気持ちになったのである。

ここでも、幸せとは何かと考えさせられた。

アジアの他の国に行くにしろ、他の先進国へ行くにしろ、結局は世界の移民や難民の問題と同じように「自分ではどうにもできない貧困」から逃れるためだ。コストのかからない国へ行けば同じ支出でも快適に暮らせるし、贅沢できる。豊かな国へ行けば今以上に収入が得られ、自分も豊かになれるはず。

ああ、これがグローバル化か。何か悲しいなと思った。

自国にも良いところはあるはずなのに、自国の衰退や貧困から逃れるために、別の文化を持った地域で暮らすことを選択せざるおえないのは、悲しい。日本が生きにくいし、衰退していくからといって、日本で暮らすよりもコストがかからず、経済は勢いのある途上国で生活したいとは、本気で思えない。

そういう風には生きられないと思った。私には、その考え方で生きていくことはできそうもなかった。

殺伐としているのは、みんな余裕がないから

グローバル化によって起こっている現象が良いとは思えない中、それでも日本で生きていくのは辛いと感じるのだから、何とかしたいと思っていた。弱者に厳しい社会・政治は、私では何ともできないが、精神的な面はどうだろうか。同調圧力とか、日本人らしい特徴ってそんなに悪いことなのだろうか?そもそも、なんでこんなに人を攻撃する社会なのだろう。

そう考えたら、みんな余裕がないからだと思った。幸せじゃない人が多いから。余裕がないから、弱者へ手を差し伸べることも出来ない。自分だって大変なんだ、と。

自立しなければならない。自立すべきだ。他人に迷惑をかけてはならない。こういった考え方が、日本を生きにくくしているように思う。多くの人は良い意味でも悪い意味でも真面目だから頑張ってしまうし、孤立してしまって誰も頼れない人も少なくないのだろう。

だから成功しようと、周りは関係ないとか、論理的に考えて合理的な選択をしようとか、ビジネス書や自己啓発書でもよく見かける考え方で生きようとする。確かに、それが出来ればある程度の結果は出せる。人によっては大きく成功することも出来るだろう。

しかし、こういったグローバル化ではつきものの、欧米の論理的である事や合理的である事を良しとする考え方は、私たちを幸せにはしない気がする。これを進めた結果、どんどん追い詰められて苦しくなっている気がするのだ。

助け合える家族や仲間がいれば、日本から出てみたいなんて気持ちにはならなかったのだろうな。結局、だれにも頼れず孤独だったから、日本から出たいと思うほど辛かったのだろうな。

こんな悲しいことに気が付いてしまったので、書いてこの虚しさを紛らわせることにした。大丈夫、今は私には無条件に味方してくれる夫がいる。