今日、ふと考えたのは自由についてだ。
今現在もコロナウイルスの影響で行動に制限があったりはするが、ライフスタイルや精神的なことでは昔よりも自由に生きられるようになったのではないかと思う。
生まれ育った環境や年代・性別や選ぶ対象によっては選択のし易さに差は出るかもしれないが、多くの日本人はネットで情報収集ができることもあり、いろんな生き方を選べるようになった。
しかし、それでも「私は自由に生きている」と言える人は、少ないのではないだろうか。
ネットでいくらでも調べられるし、本気でやろうと思えばできるはずなのに、行動できない。そして結局、こんなに自由に生きやすい環境があるのに動けないと、自己嫌悪を感じてしまったりする。
いくら昔よりは自由に生きられると言っても、今まで受けてきた教育の影響からか、自己肯定感の欠如や人とは違ったことをすることに慣れていない、自分が何をしたいのか分からないから自分で決められない、といった人は少なくない気がしている。
私は今まで、頻繁に仕事を辞めたり、社会人になってから大学で勉強を始めたり、転職したり、副業を始めたり、独学で英語を学んだり、国際遠距離恋愛・国際結婚したり…といろいろやってきたが、何か行動を起こすたびに言われてきたのは「よくこんな思い切った行動ができるね」といった事だった。
最初は一つの職場で長続きしないとか、我慢が足りないとか否定的なニュアンスも含んでいたし、場合によっては意識高い系だと思われていただろうが、少しづつ私らしい生き方に変わっていっているのが分かってからは、友人や家族からは否定的には見られなくなった。今では彼らや知り合いから見れば、自由に生きているように見えるらしい。
社会に適応できない、我慢が出来ない、もっと自由に生きたい、もっと楽したいといった、自分勝手だともいえる理由でフットワーク軽く動けたのは、そもそも私には失うものがなかったからだった、ともいえる。美容師の時は紛れもなくワーキングプアで、これ以上悪くなりようがないと思っていたし、既に社会の底辺にいるので転職も怖くない。むしろ自分を変えず、自由を求めず、動かないといった選択は出来なかった。あのままでは死にたくなるほど辛かったし、自分で動かなければ何も変わらないことは分かっていたから。
こうして少しづつ自分の好きに生きられるようにしてきたのだが、私はそれが自由だと考えている。自由とは「自らに由る」と書く。
日本で普通に生きていこうとすると、誰かに決められた、あらかじめ設定された生き方になってしまう可能性が高い。自らに由っていないので、結局自由ではない生き方になってしまう。
自由に生きようと思えば生きられるのに、自らに由って生きることが難しいのは、日本での普通の生き方とか、正解を答えさせるだけで自分では考えさせない教育とか、みんなと同じでなければいけないといった空気等が関係しているのだろう。
ネット上では自由を謳歌した生き方をしている人の情報が簡単に目に入ることもあり、自由に生きようと思えば生きられるはずなのに、自由に生きられないことがフラストレーションになりやすい面もあると思う。
便利で、快適で、自由な環境はあるのに、それを活かしきれない。即時にいろんな情報が手に入るからこそ、自分の現実との対比で苦しいときもあるというのは、何だか皮肉だとも思う。
選択肢が多いことが自由だと思っている人は違う考え方になるかもしれないが、私にとって自由に生きられるかは結局、やるか・やらないかの問題だ。
自由に生きるというのは、経済的に豊かな成功者とか、リモートワークでどこにいても生活できるとか、日本が生きにくいから日本を脱出…と言ったイメージだったり、何かに分類できるようなものではないと、私は考えている。
確かにお金があった方が選択できることは増えるだろうが、選択肢が増えることが自由だとは思わない。選択肢が多いから自由、と考える人は多いかもしれないけれど、貧乏だろうと選択肢が少なかろうと、自らに由って生きているのであれば自由だという考え方を、私はするようになった。その方が幸せに生きられる気がする。
原因や理由は自分の中から出てきたもので、自分で決めて生きていくことが自由だ。
不便で、今よりもずっと情報が得られにくく、選択肢が少なかった時代でも自由に生きている人はいた。選択肢が少なかったからこそ、これだ、これしかないと自らに由って生きてきた魅力的な人もいる。
もしかしたら情報が溢れる今だからこそ、シンプルに自らに由って生きることが難しいのかもしれない。それでも、昔に比べれば自由に生きやすい時代・環境に生きているのだろうから、今を生きる私たちはラッキーだとは思う。
自由でないと辛い。だからこれからも自らに由って生きていけるように、もっといろんなことを学んで考えていこうと思う。考えることを止めてしまったら、自由に生きていくことはきっと難しくなる。いろんな情報に惑わされ、場合によっては鵜呑みにして傷つくこともある。自分で考えなければ、自分の気づかぬうちに誰かにとって都合のいい生き方を強いられてしまうからだ。
今も自分に問いかけている最中だ。苦しい時期もあるが、自由に生きたければ常に自分に問いかけ、考えて続けて生きていくしかない。
…でも疲れたら休憩する。そろそろ休憩しようかな。