イギリスへ来てつくづく思うことは、母語が英語であるというのはとても恵まれている、ということだ。
自分たちのパスポート・ノービザで旅行に行ける国であれば、どこの国へ行ってもある程度は英語が通じるので困ることもないだろう。
そういった国であれば住むのも働くのも、英語が母語でない国の人より難易度は低い。英語を使った仕事などは得られやすいだろう。
重要な書類も英語表記されていることが多いから、「読めない・理解できない」ことで不利になることもない。
だから、外国語を学ばなくても有利な立場で生きていける。
この世界では、生まれながらに持った特権だと思う。
外国語の学習に、人生の時間を取られずに済む
日本人が英語を習得するまでにかかる時間は約2200~3000時間(もしくはそれ以上)と言われているが、英語が母語の人たちはその時間を自分が興味のあることや、より高度で専門的なことを身に付けるために使える。
その上で、自分の母語である英語を必死に学んできた人たちと、同じ土壌で競争できる。
これは、英語が母語の人たちにとって、相当有利な環境だ。
より専門性の高い仕事をするには、より抽象的な思考が要求されるだろう。
英語が外国語である人たちの中で、母語のように英語で話し・考えることができる人は少ないと思う。高度な、より抽象的な思考をするには母語で考えたいところだが、母語で考えてもそこから英語への翻訳が必要になる。
私も複雑な思考をするときは、どうしても母語の日本語でないと考えられない。英語では語彙が足りないし、言葉を使って思考するのに、母語なしでそれができるとは到底思えないのだ。
いくら英語の学習を重ね、語彙を増やし、英語が流暢に使えるようになったとしても、生まれてから使い続けている母語に代わることはできないだろう。数十年の積み重ねがあるのだから。
仮に母語の使用を止め、英語をメインに使い続ければ、いつかは母語よりも使えるようになるかもしれない。(かなり難しいとは思うが)
しかし、それまでにかかる時間を外国語の習得に使わなければならい人と、そうではない人で、専門分野で高度で抽象的な思考が出来るようになるまでにかかる時間には、かなりの差が出るのではないだろうか。
高度な思考を母語の英語ででき、情報を集めるにしろ発信するにしろ、わざわざ翻訳したりする必要はないなんて、英語が母語の人はこの世界では相当有利だと思う。
さらに、国際語として広まり続けているから、自分がより有利になる状況を作れる。
彼らは、生まれながらに有利な条件を持っているのだ。
これは明らかに公平・公正ではないのに、英語は国際語なのだから使えない方が悪いといった態度でも、問題視されないように思う。
世界って本当に理不尽だ。
どうしよう、英語が嫌いになりそう。
それでも、外国語を学ぶと視野が広がるのは事実
基本的に人は、どうしても外国語を身に付ける必要に駆られたり、その文化に興味がない限り、わざわざ外国語を学んだりしないだろう。
私も日本で生きていくことに光を見いだせなかったのと、旅行で困りたくなかったことが理由で、英語を学んだ。
英語が母語であれば、わざわざ外国語を学ばなくても優位に、快適に生きられる。
しかし、外国語を学んだ人は否応なしに視野が広がるので、こういった面では得られることも多い。
母語の感覚や考え方と、学んでいる外国語の感覚と考え方では違いがあるので、どうしても両者を比較したり、今まで気が付かなかったことに気がついたりして悩むこともある。
外国語習得をした人の方が、母語でない言語を話す人に対して優しい気がするし、人として奥行きがあるように感じるのは、こういった経験をしてきたからだと思う。
必然的に、英語が母語の人は、こういったことを経験する機会は少なくなるだろう。
それでも、彼らに有利な世界であることに変わりはないけれど、どちらにとってもコントロールできる事じゃないから仕方ない。
英語を学んで得られたことも多いし、これからも学び続ける必要はあるだろうけれど、自分の母語である日本語は大切にしたいと思う。
時々、無性に英語に腹が立つ時もあるし。
外国語を学ばない英語母語話者に、お前も母語以外で話してみろって言いたくなるし。
母語が国際語であるということが、どれだけ自分たちに有利に働いているか分かっているのかと言いたくなるし。
外国語を学んで視野が広がっても、心は広くないな…私は。残念。