私の中で、美しい女性といえば、中原淳一さんの描く女性です。
女の子らしいひらひら・ふわふわの服、色はピンクや水色などの淡い色、髪型は編みこみにしてレースのリボン…子供の頃、こういった「女の子らしい」服装が大好きでした。
小学3・4年生のころまではビーズを使って指輪を作ったり、自分でマフラー編んでみたり、母がやっていたパッチワークの影響を受けてちょっとした縫い物してみたり、お洒落が大好き。
授業中も、隠れて編み物やパッチワークをしていました。学校嫌いだったので 笑
気に入った服しか着ないので、同じクラスの人には「それしか服持ってないのか」と思われていたことでしょう(笑)姉がいるので、服はお下がりも多かったと思います。お下がりだから自分で選べない、自分好みでないのが嫌だったんです。
たぶん、私は可愛くなりたかったし、女の子であることを楽しみたかったのでしょう。
ですが、小学校2年生の時、短い方が似合う・ボーイッシュの方が似合うと親から言われ背中まであった長い髪を、ショートカットにバッサリ。おそらく、私が編みこみやポニーテールにしないと嫌だったので、母が毎日髪を結うのが面倒だったのでしょう。
服装も動きやすい、ボーイッシュなものを勧められ、本来私の好きなものから離れていきました。
また、姉は綺麗な顔立ちをしていたし、私と違い優秀だったので褒められることも多く、そこまで姉と比べられているわけではないのに劣等感をもっていました。それでも親に愛されたかったし、姉とは違うタイプになって劣等感を和らげるためにも、親に勧められるままボーイッシュで活発な見た目に変わっていきました。
「私には女の子らしい、可愛い服は似合わないんだ」と思うようになっていきました。それならばと、「可愛い女の子」から「かっこいい女性」へ憧れを変えたのです。
中学生から社会人になるまでに私の好みはボーイッシュな格好からロック系へ好みが変わり、それからクールなお姉さん(笑)へ変わっていきました。一周して戻ってきたのでしょうか、今は女性らしい服装をしたいな、自分に似合った自分なりの美しさを出せたらいいなと思うようになりました。
30代にしてやっと、親からの影響やコンプレックスから離れ、自分の好みのものを素直に受け入れられるようになったのかもしれないです。
元々「女の子らしい」ものが好きだったのだから、「女性らしい」ものを求めるのは自然な事なのかもしれない。
そう思うのは、美しくなりたいから。では、なぜ美しくなりたいのだろう。「異性にモテたい」とは違うんですよね。自分の中の問題なんです(もちろん、私はモテないよりはモテた方が良いですが 笑)。
私は中原淳一さんの描く女性が好きなのですが、中原淳一さんが残した言葉にものすごく共感しました。
「美しくなりたい——ということは、
街を歩いていてみんなに「美人だナ」と
振り返ってもらうためではなくて、
自分の心のためにこそ、あるものです。」
これなんですよね。美しくなりたいのは、自分の心のため。
アトピーで大変なことになってる自分の顔が嫌で病んで引き籠りになったけど、人生変える為に美容の仕事を選び、自分なりに綺麗になる努力を続けてきたのも、美しくなる為にアトピー治すぞ!と行動に移すのも、自分の心のため。
小さいころ自分の好みを抑圧されてきたうえにアトピーに悩まされてきたせいか、「美しくなりたい」と思う気持ちが人一倍強いのかもしれないです。
中原淳一さんの絵、素敵すぎます。お気に入りです。
知的で美しい、自立した大人の女性になりたいものです。