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自分の愛着と向き合う

自分の愛着と向き合う

何かしら心に問題を抱えている場合、よく考えてみるとその原因は親から愛されなかったことにあることが多い。

表面的に出ている問題行動や、依存症などの症状や人間関係が上手くいかないなど、社会に適応して生きていけないのは、親子関係を見直すと改善されることもよくあるのではないだろうか。

愛着障害と呼ばれるもので、それは私にも言えることだった。

私が子供の頃、砂糖を食べるのが止められなかった。

親に隠れて毎日数本の1袋6gに個包装されていたグラニュー糖を食べ、そのごみを隠すということを続けていた。隠しきれなくなった大量のゴミが母に見つかり、一部のゴミはトイレの裏側に隠していたので「トイレで隠れて砂糖を食べる変な子」として、それからは何かにつけて笑いのネタにされた。

笑いのネタにされたせいもあり砂糖への依存を止めたが、食べ物への執着は砂糖だけではなかった。

私が子供の頃、学校の給食で出されたパンなどの個包装されたものであれば、持ち帰ることが可能だった。その為、私は給食でパンがでると学校では食べず、自分の学校の机に隠しておいたりランドセルに入れて保管しておいたりした。時にはカビが生えるまで入れっぱなしにしており、自分でもなぜそんなことをしていたかは分からない。不衛生で汚いのに、止められなかった。

今思うと、親に捨てられて生きていけなくなるかもしれないという不安や、食べれなくなるかもしれない不安が常にあったから、そういった行動に出たのかもしれない。

その後はゲームセンターのコインゲームにハマって散財し、スロットにハマり、中学生以降はテレビゲームが止められず、親からは私はギャンブルにはハマりやすいだろうから絶対にやらない様にと言い聞かされていた。

謎の給食保存(笑)に砂糖依存、ゲーム依存、ギャンブル依存。

子供の頃の行動が依存症だったのではないかと気が付いたのは、大人になってからだった。子供が依存症になるのは、子供の責任だろうか。

さらに、高校卒業後は外に出るのが怖くなり、引きこもりになった。

何とか美容学校に通って美容師になり、自分一人生きていくのに困らない技術は身に付けたが、毎日が辛かった。

読書が好きだったので読書することで視野が広がり、何とか自分が生きやすくなるように考えを変え、行動してきた。個人事業主として働き、ネット収入を得て、読書を続けつつ大学で学び、独学で英語を身に付けたり海外で働こうと転職もした。

親から離れると生きやすくなったが、まだまだ成長しなければと自分を追い詰め、どんなに頑張っても満たされない何かがあった。

薄々気がついてはいたが、自分の中にある根本的な何かと向き合わない限り、どんなに成長しても安心できないだろうし、幸せは感じられない気がした。親から愛されなかった、愛されたかった、こういった思いは気が付きにくい。親に愛されていなかったと、認めたくはないからだろう。

親との関係を改善させられればいいが、親をコントロールすることも出来ないし、親との関係修復が難しいのであれば、他で心が安定できるようなつながりを持つしかない。

親以外で自分にとって信頼できる何かがあれば、生きやすくなる。

私の場合は仕事にそれを求めるのは無理そうだったし、何よりも信頼できるパートナーが必要だと思うようになった。孤独だったから。

そういったパートナーを得られるかなんて自力では何ともならないし、運も必要だと思うので、どうなるかは分からないことだ。だから尚更、怖い。

しかし、どうしてもそれと向き合う必要があった。

そうしなければ、どんなに頑張って生き方を変え生活を改善させても満たされず、ずっと成長しなくてはならないと、頑張ることに追われる人生になるだろうと思ったからだ。

愛情不足は、愛情以外のものでは埋められないのだ。

幸運なことに、その後パートナーに恵まれて幾分安定してきたのだが、ここで気が付いたことがある。

相手が欧米の文化圏で生まれ育ってきた人達のように愛情表現が豊かだと、愛されなかった傷が癒されやすいのかもしれない、ということだ。

個人差もあるので相手の文化は関係ないのかもしれないが、日本人でここまでの愛情表現ができる人は、なかなかいない気がする。

子供のころから愛情に飢えていた人は、誰かにしっかりと受け入れられる経験が必要だと思うのだが、分かりやすい愛情表現を毎日のようにされることも、かなり効果は高いのではないかと思うのだ。

表面的なものだけでなく、内面的なものが重要なのは分かるのだが、表面的なものがある分さらに幸福度は高くなる気がする。

欧米の分かりやすい愛情表現に憧れる人は、愛情不足を補いたいという気持ちが少なからずあるのかもしれない。愛着障害にたいしても、分かりやすい愛情表現をすることは効果があると思う。

分かりやすい愛情表現が欲しいとは言いにくいかもしれないが、素直にそれが良いと言えたら、もっと幸せを感じて生きやすくなるだろう。