先月、流産が確定し、今月に入ってから子宮内容除去手術を受けた。
今まで出産以外で入院した経験もなく、手術の経験もなかった。そんな私が、まさか1年で2度も流産の手術を経験することになるとは、人生分からないものである。
去年の11月に引っ越したので、一度目と二度目は違う病院で手術を受けた。同じNHSでも違う地域・病院になると、担当する医師の違いもあるのだろうか、少し対応に違いがあったけれど、大きな問題はなく手術を終えることができて良かった。昔なら英語に不安を覚えたり、情報の少なさに尻込みしてしまっていただろうけれど、そういった不安や戸惑いはなく生活できるようになったのだと、少し感慨深い。
さて、二人目の妊活で胞状奇胎・流産と連続で不運な結果となったのだが、「この妊娠は上手くいかないかもしれない」「今回はダメだろうな」と感じた時、どちらの時も「早くこの妊娠を終わらせたい」と思っていた。早く出てきて欲しい・早く手術を受けたい…もうダメなら早く終わらせて前に進みたい、と。
胞状奇胎の時は「胞状奇胎の疑いがある」という状態だったので、侵入奇胎になるのを防ぐためにも子宮から早く内容物を出す必要があった。しかし、今回の普通の流産の場合はそうではない。
少しの時間でもお腹に宿ってくれた命に対して、早く出てきて欲しいと自分の都合だけで考えてしまう自分を恐ろしく感じた。私(親)の都合で望んで妊娠したのに、ダメだったから早く出ていって欲しいと思うなんて、私はなんて薄情なのだろう。流産になっても、お腹の子に対して温かい言葉をかけたり、感謝の気持ちを持てる人も多くいるのに、そんな風には思えず自分の都合を優先させている私は、人として何か欠けているのではないだろうかと思った。
私は今回の流産で、ただの流産でよかった、悪い結果の中では一番マシな結果で良かったと思っていた。自分の慰めるためではあったけれど、割と本気でマシな結果だと思っていた。
そして、ふとした疑問が頭に浮かぶ。もし障害を持った子が産まれたら、私はどう感じ、どう行動するのだろうか、と。
流産と違って、終わりには出来ない。産まれた命に対して、障害があるからと言って「ダメだから次へ!」ということはできるはずがない。親としての責任が伴う。
もし産まれた子どもの体に障害があったら、知的な障害があったら、発達に障害があったら、私はどうするのだろうか。これはとても難しい問いで、いくら考えても実際に自分がその立場に置かれないと何とも言えないのだけれど、真剣に考えたほうが良い。今まで、自分がその当事者になるかもしれないとリアルに想像し、その生活を考えたことがあっただろうか。
ここまで考えた時に、私が思っていた「2人目が欲しい」というのは、「健康で、知能や発達にも障害がない子」であることが前提になっている、ということに気が付いたのだった。
胞状奇胎になって、0.1~0.2%の確率を引き当てた。胞状奇胎に加えて流産にもなって、こういった不運が続くこともあるのだと身を持って体験している中で、なぜ「2人目も健康で障害がない子どもが産まれるだろう」といった楽観視ができるのだろう?
確率は低くとも、どんな不運や不幸が自分の身に、家族の身に降りかかってくるかは分からない。今、当たり前に享受している幸せが、二人目の子供を授かったことによって壊れてしまう可能性だってあるのだ。
もしかしたら、二人目の子供を望むのは、私には分不相応なことなのかもしれない。
今いる娘だって、まだ気が付いていないだけで発達に障害がある可能性だってある。運良く2人目を授かっても、完全に私のキャパオーバーで家族全員を不幸にする未来だってあり得る。
本気で二人目の子供が欲しいと思っていたのであれば、30代のうちに産んでいた。でも、私はそれを選ばなかった。理由は簡単で、自分の体力的な問題や精神面の安定を優先させた方が、私にとっても家族にとっても幸福度は高い生活になるだろうと思ったからである。自分の能力から考えて、一人目の子供が最低でも3~4歳にならないと2人目は無理だった。
2人目を望むようになったのは自分に少し余裕が出てきたからなのだが、「健康で障害のない子供」であれば何とかやっていけるだろうが、もし障害がある子が産まれたら私はキャパオーバーを起こすだろう。余裕のなさから、周りの大切な人も不幸にするような未来しか想像できない。怖すぎる。
また流産という不幸が襲ってきたおかげで、『「2人目が欲しい」というのは、「健康で、知能や発達にも障害がない子」であることが前提になっている』といった、自分の頭の中がいかにお花畑だったかということを思い知らされた。
それでも、どんなことにもリスクはつきものだし、二人目を諦めても自分自身や家族に違った形で不運や不幸が襲ってくることはありうる。
生きていれば度々理不尽な目に遭う。生まれ持った能力には当然ながら個人差があるし、親や環境も選べない。自分で選べることなど、たかが知れている。その中で、どう生きていくか試行錯誤していくしかないのだ。
だから私は「どっちの方が面白いか」で決める。
2人目の子供に恵まれたら、人生の難易度は確実に上がる。だから子供が二人いた方が面白そうだと思う。なんだかんだ言いつつ、大変でもそれなりに対処していくのだろうと思うし、子供だけでなく自分の成長や変化も楽しめるだろう。
ただ、子供は授かりものだから、どんなに頑張っても2人目には恵まれないかもしれない。もしそうであれば、お前には無理だ・止めておけということなのだろう。誰に言われているかは知らんけど 笑
流産の手術をして、やっと味覚も戻ってきたし、体が健康な状態に近づいている。ごはんが美味しい、胃もたれ・便秘からの解放など、体の調子が良くなると気持ちも明るくなる。同時進行は苦手なのだけれど、妊活以外にまた何か打ち込めることを見つけたい。それは2人目の子供の有無に関係なく、確実に私の人生を豊かにするものになるだろうから。
旅行にも行きたいし、やりたいことは沢山ある…いや、今はただ旅行に行きたいだけかも。
