これから生まれてくる自分の子について、日本の家族や友人・知り合いから「ハーフだから○○」と言われるのは気に障る。産まれる前から「この子はハーフだから」といったフィルターを通して見られてしまう。
「ハーフだから大きな赤ちゃんで産むのが大変かもしれない」くらいならまだいいのだが、よく言われる「ハーフだから可愛い」「ハーフだからバイリンガル」に関しては好きではない。
「ハーフだから」という相手からの先入観のせいでプレッシャーに感じる人は、少なくないのではないかと思う。何か不足があれば「ハーフなのに~」って言われるのだろうな…と。
「ハーフだから可愛い」
そもそも、人種なんて関係なく、容姿が整っている人もそうでない人もいるので、ハーフだから可愛いとは限らない。
漠然と外国人(特に白人)は綺麗だと思っている人は少なくないようだが、見慣れていないからそう感じるだけで、慣れれば彼らも日本人と同様に整っている人もいればそうではない人もいることに気が付く。だた、白人の赤ちゃんに関しては天使のように美しい子が多いのも確かだから、これだけは認めざるを得ない 笑
でも、容姿が整っているかどうかに人種なんて関係ないし、何よりも私は自分の子供の容姿について人からあれこれ言われたくないのだ。
子供のころから私の家族や親戚は容姿に関することを、何の悪びれもなく、特に遠慮もなく言いたいことを言っていた。
私にとっては、それが本当に嫌だった。自分の子供も奴らの餌食になるのかと思うとムカつくのだ。しかもハーフとなれば奴らの興味の対象になるのは分かり切っている。
容姿が整っていなくてもケチ付けられるし、たとえ容姿が整っていてもアラ捜しされることは目に見えている。もし運よく子供の容姿が整っていたとしたら、おそらく私を貶すのでまた嫌な思いをするだろう。
「ハーフだから可愛い」は、褒めているのだから良いことなのだという人がいるが、「ハーフだから可愛いはず」という先入観のせいで傷ついている人もいるし、そもそも容姿についてあれこれ言われたくないという他人の気持ちを無視している。
生まれる前から「ハーフだから可愛いはず、いいなあ」と言われているのだから、子どもが何を言われているか理解できる年齢になっても、そいつらからいろいろと言われるだろう。良かれと思って、褒めているのだからいいのだ、もしくは「ハーフなのに残念な容姿」といったような内容の、無神経な言葉を言われるかもしれないと思うと憂鬱だ。
日本にはルッキズムの文化が根付いているので、彼らは無意識に何の罪悪感もなく見た目について口に出す。気が付いていないから厄介なのだ。家族や友人だろうと、それは差別だから止めてくれ・不快だと言ったとしても、日本に根付いているせいか違和感を感じていないのだから、彼らとは少なからず摩擦が起きる。
容姿が良いと価値があると言った考え方が根っこにあって、更にハーフだからといった人種の違いも加わると、差別の対象になりやすいことを実感した。それだけいろんな人から「ハーフだから可愛い、いいなあ」という言葉をかけられた。
とにかく不快だった。この差別が子どもへ影響しないように、身内や友人には今から釘を刺しておいた方が良いかもしれない。
それとも、思いっきり自慢してやればいいだろうか。あんたらと違って美しいでしょ、と 笑
嫌な奴相手ならそれもいいかもしれない。嫌な奴に気を使う必要は無いし、滅多に会うこともないから、嫌われても痛くもかゆくもない。でも、言えないだろうなあ…後がめんどくさいし私良い奴だから。
「ハーフだから自然にバイリンガル」
私は、ハーフだから自然とバイリンガルになれるわけではない、と考えている。
確かに小さい頃は両親が別の言語で話しかけていれば、簡単な会話はできたり、成長してからも話せないが聞くだけならできるといった事はできるかもしれない。しかし、2つの異なる言語、それも日本語と英語のような異なる文化圏で全く似ていない言語となると、習得にはそれ相応の時間がかかる。
ハーフで2つの言語を「話す・聞く・読む・書く」すべて使いこなせるようになるには、本人のその言語に対する興味が欠かせないし、親も相応のサポートをする必要があるだろう。そうでないと恐らく学習を続けることは厳しい。日常生活で使う言語の方が楽なのだから、もう一方の言語に余程の興味や習得する必要性がなければ、子どもが学習したくないと思うのも自然な気がする。
他言語を習得した人であれば、「自然に」バイリンガルにはなれないというのはよく分かると思うが、母国語しか話せない人には分かりにくいから、彼らからは「ハーフだからバイリンガルでいいな」といった軽い言葉が出てくるのだろう。
どの程度その言語を使いこなせるかにもよるだろうが、ハーフでバイリンガルの人の多くは、それ相応の学習を続けて2つの異なる言語を習得している。何の学習もせず、日常生活だけで自然にバイリンガルにはなれない。
現地の言葉と、それとは異なる言語の学習時間を子供のころから確保し、その生活を続けるのは大変だろうと思う。その子自身にその言語や文化への興味がないと、常に学習する時間やその言語に触れる時間の確保は難しい。無理矢理身に付けさせようとしても、本人に習得の意思やメリットがないと嫌がられて家族関係にも支障が出るかもしれない。
上手く両方の言語を…とやろうとしても、その子にとっての母国語となる言語の能力が低ければ、深く考えたり、自分が感じたことを表現したりするのに支障が出る可能性もある。
その子の特性や興味、その子がいる環境によって、バイリンガル教育ができるかできないかは変わってくる。親の協力は不可欠で、親の価値観によっても違いは出てくるだろう。親の希望と子供の希望も違うかもしれない。
「ハーフだからバイリンガル」と簡単に言うけれど、実際はそんなに簡単なことじゃない。だから無邪気に言われる「ハーフだからバイリンガルでいいな」という言葉が引っかかるのだろう。
ハーフの人からしてみれば「ハーフなのにバイリンガルじゃないの?」と言われるのも嫌だろうし、時間と労力をかけて習得した言語なのに「ハーフだからバイリンガルでいいな(何の苦労もせずに自然に身に付けられて良いな)」と言われるのも複雑だろう。
色々考えたが、私は自分の子供にバイリンガル教育はしないつもりだ。私の子供について「ハーフだからバイリンガル」と言われたら、バイリンガル教育はしない、の一言で終了させている。
イギリスで生まれ育つ私の子供にとって、母国語は英語になる。
日常で日本語を使う機会は殆どないし、近くに日本人学校もない。将来、日本語を使う機会があるのか、必要になるかは子供次第だが、日本の何かに本人が興味を持たない限り日本語が必要になる日はこないだろう。本人が望めばいくらでもサポートする気ではいるし、日本語や日本の文化に触れる機会はもつようにするが、日本語習得を強制はしないと決めている。
ほんと、「ハーフだから自然にバイリンガル」になれたら楽なのに。