幸せとは何だろうかと、考えることは誰にでもあるのではないだろうか。
私にとって簡単なようで難しい、難しいようで簡単なこの疑問への答えは、その時々で変わる。
誰にも迷惑をかけずに生きなければならないという呪縛
育った生活環境による影響のせいか、自分にとっての幸せを考えた時、まずは誰にも迷惑をかけずに自立することが必要だと考えていた。
自分にとっての幸せを考える以前の問題である。
仕事・家事・子育てと生活に追われて生きていた母の姿を見て、今まで日本で「普通」とされてきた女性の生き方に対して嫌悪感を抱いていた。
こんな生活は大変で、幸せそうではない。
…かといって離婚は難しいから、我慢するしかない。母の生きてきた時代背景と経済力を考えれば、それも理解できる。
今はそういった苦しい時期を超えたせいか、両親は悠々自適の老後生活を送り始めている。年金の受給も私たちの世代とは違って、ギリギリ逃げ切れる世代であろう。
母のようにそういった生き方をせざるおえない人もいたのかもしれないが、私には出来ない選択である。
そういった母の苦しい生き方を目の当たりにすることは、子供の価値観や考え方に大きな影響を与える。
私の場合、母からは自立して親(母)を助けろといったメッセージを受け取って生きてきたせいもあるかもしれない。
子供は親を助ける道具じゃない。
今思えば「誰にも迷惑をかけずに生きる」なんて、そんな人生息苦しさしかないように感じるが、20代のころは本気でそう考えていた。
そんな辛い思いを自分の子供にさせる可能性があるのであれば、子供は産みたくないし、結婚も必要ない。
まずは自分一人生きていくのに困らない経済力を付けようと思った。
本業と副収入で経済力をつける
本業のほかに、ネットで副業を始めて収入を得られるようになったとき、以前に比べれば一人で生きていく不安要素は減っているはずなのに、自分が成長すればするほど何かが違う気がするという複雑な感覚に襲われた。
ちょうど、年齢的に子供を育てない人生で本当にいいのか、と考えてしまう時期でもあった。
何かが違うのかもしれない、本当にこれでいいのかといった迷いと、ずっと今の仕事ができるわけではないといった悩みに向き合わなければいけない。
そこでまずやろうと思ったことは、英語を身に付けることである。
英語を身に付ければ旅行ももっと快適になるし、日本を離れたくなったら語学の心配は少なくなるから、そのハードルは低くなる。今よりも自由になれる、と考えた。
そういった自由度が高くなればなるほど、ストレスも減るし幸福度も上がると思っていた。
確かにそういった面はあるが、それだけでは埋まらない何かがあるような気もしていた。
それは何だろうと次に向き合ったのが、「女性の生き方」についてであった。
女性の成功者は幸せだったのか?
この疑問に対する答えのヒントを得るために、いつものように本を読み漁った。
この資本主義の世界で快適に生きるためには、ある程度のお金がいることもあるせいか、経済的な面で人生をより良くしようとすると、多くは男性の成功者がモデルになった本が多い。
いつも違和感があったのは、私はそこまでの「男性性」がないからであろう。そこまでの競争心や上昇志向がないのである。
だから、女性の成功者とは?といった面で探してみた。
最初に興味を持ったのは「ココ・シャネル」である。高級ブランドで有名なシャネルの創始者。
女性で成功というと、真っ先にイメージとして浮かんだのが彼女であった。
受け取り方にもよるのかもしれないが、彼女の人生が「彼女にとって幸せだったのか」と考えると、私にはそう思えない。
確かに大きな成功を手に入れているし、世界に与えた影響も大きい。
しかし、彼女が一番欲しかったであろう、最愛の人とともに生きる人生は手に入らなかった。
だからこそ、あれほどのハングリー精神と創作意欲などがあったのかもしれないが、幸せだったかと考えると幸せより孤独感の方が強かったのではないかと思う。
女性の経営者で成功者といえば、なぜかシャネルスーツとエルメスのバーキンがイメージとして与えられている。
ではブリジット・バーキンはどうであっただろうか。
彼女も独特な人生を歩んでいる。
社会に与えた影響は大きかったのかもしれないが、何より気になったことは、彼女の長女が精神を病み自殺してしまっていることだ。
その後、精力的に社会活動をしてはいるが、育った環境と親からの影響は計り知れないと私は考えているので、彼女が子供に与えた影響を考えると、バーキンの生き方も私の考える幸せとは程遠い。
ほかにはオードリー・ヘップバーン、作家のサガン、マリリン・モンロー、エディット・ピアフなど、以前活躍した女性たちに関する本を読み漁った。
今活躍している人は、その人自身の歴史が浅いし本当はどうなのかといったことが分かりにくいこともある。
上記の女性たちは、今の時代には合わない生き方かもしれないが、人(女性)の幸せを考えるには大いに参考になる。
あらかた読み終わって思ったことは、心から愛し信頼できるパートナーがいるかいないかで、幸福度は大きく変わるのではないかということであった。
経済的・社会的な成功も凄いことだと思うが、それで幸せなのかというと、そうではないことも多い。
信頼できるパートナーが必要だ
愛する人とともに生きることができるかといった点は、幸福度に大きな影響を与えるのであろう。
特に女性にとってはそういうものなのかもしれない。
基本的に性差別はするべきではないとは考えているが、「女性性」「男性性」といった性差はあると思うので、向き不向きや考え方の違いなどは知っておいた方がいいと考えている。
男性のように働いて出世する、稼ぐといったことができないと、女性が社会的に成功するのは難しかったから、その道を選べなかった人も多かっただろう。
それができても、ある日本当に欲しかったのはこれではないと気が付いた人もいるかもしれない。
男性のように働いて、尚且つ女性としての幸せも手に入れよういうのは、大変なことのように思われる。特に男女格差の大きいこの日本では。
こんな風に生きたいというロールモデルなんて見つからない。
幸せは感じるものではあるが、何を幸せと感じるかは人それぞれであるから、自分の感じるままに生きるしかないのかもしれない。
結局は、自分にとっては何が幸せなのか、自分で考えなければならない。
でも、先人たちの生き方を参考には出来る。信頼できるパートナーはいた方がいいようだ。
そもそも、「誰にも迷惑をかけずに一人で自立して生きる」というのは私には無理である。その考え方が息苦しい。
しかも、そう考えるようになったのは育った環境の影響である。
では、本当に自分が欲しかったものは何だろうと考えると、単純なことで信頼できるパートナーが欲しかったのである。
こんな単純なことが、ここまで調べ・考えないと分からなかったのだから、私は頭がおかしいとも思う。
だが、それだけ今まで縛られてきた価値観や考え方を壊していくのは大変だということなのかもしれない。
ただ、「これじゃなかった!」とか「これだ!」といった発見をするのは、楽しいことである。この繰り返しが成長するということなのだろうと思っている。
自分の成長を実感する時も、私は幸せを感じる。
パートナーとの関係と、自分の成長を大切にすることが、私の幸福度に大きな影響を与えているようである。
どうやら私の幸せには、これらが必要らしい。