2023.7 諸事情あり、仕方なくブログ名を変更しました
後悔することを許されない、というのも辛い

後悔することを許されない、というのも辛い

少し前、友人と話していた時のこと。

その友人には私の娘と同い年の息子がいるのだが、彼女は産後3か月経たずに仕事に復帰した。0歳枠の4月入園を狙って育休を取らずに復帰しなければ、希望の保育園の席を確保できないかもしれない、というタイミングでの出産だったから、迷いつつも育休を取らずに復帰することにしたそうだ。

今になって彼女は、その選択をとても後悔していると話してくれた。子供がこんなに早く成長するなんて知らなかった、もっと子供と一緒に過ごしたかったし、結局は家事と育児に追われて思うようには働けず、仕事の成果も出せないのなら、育休取ればよかった!と。また、結局コロナの影響で少子化も進んでいるせいか、保育園にも十分空きがあったようで、焦って保育園に入れる必要は無かったらしい。

そんな彼女に私は、出産のタイミングは自分では選べないし、この件に関しては運が悪かったね。コロナの影響も今考えれば分かることなのだけれど、当時はそこまで考えが及ばなかったとなると、そりゃあ悔しいよねと伝えたのだが、彼女にとってはこういった言葉が嬉しかったらしい。

なぜなら、周りからの「早く仕事に復帰できて良かったね」「ママ早くお仕事に戻って!って赤ちゃんが応援してくれているんだよ」といった励ましの言葉に、ずっとモヤモヤしていたから。

「ママ早くお仕事に戻って!って赤ちゃんが応援してくれているんだよ」という励ましは、私からするとかなり気持ち悪い。だって赤ちゃんはたぶんそんなこと思ってないだろうし、何よりママ自身は赤ちゃんと一緒にいたかったのだから。そんなママからしてみれば、赤ちゃんがママと一緒にいたいと思ってくれた方が嬉しくないか?と思う。だからこの励ましは、本当に気持ちが悪い。

でも、そういった励ましの言葉に救われる人もいるのだろう。生活の為には何が何でも働かざるを得ない、だからそう言い聞かせるしかない、という人ももしかしたらいるかもしれない。そういう人には必要な言葉なのだろう。

何でもプラスに捉えようとするのは、多くの人にとって基本的には良い事なのだろう。しかし、後悔をしていることには、自分にとって大切なことが大きく関わっている。何でもプラスに捉えようとすると、その自分にとって大切なことに蓋をして、見ないように仕向けてしまう効果もあると思う。

「これでよかったんだ」と言い聞かせて、本心に蓋をして生きていくのは辛い。そのままにしておくと、自分が本当に求めているものは得られず、これが大切なんだと思い込まされているものを必死に守って生きていくことになる。

励まされるのはすごくありがたいことなのだろうけれど、後悔させてもらえない、というのも辛いなと思った。何に後悔しているのか、本当は何がしたかったのか、自分にとって大切なことは何か、こういったことを考えないようにして「これでよかったんだ」と言い聞かせて生きていきたくない。

後悔はしたくないけれど、「後悔する」ことって悪い事ばかりじゃない。後悔したことにしっかりと向き合えば、自分にとって何が嫌で何がやりたいのかといった、自分の本音が見えてくる。「とても後悔した。だからそこから学んで、これからはこうしていく」ということを積み重ねていって、私は自分にとって大切なこと・やりたいことを優先して生きていきたい。

私もイギリスに来てから後悔していることがある。イギリスに来てもうすぐ4年になるのに、未だに英語が満足に話せない。

完全なる勉強不足で、心のどこかで今のレベルでも何とかなるから良いかと思っていたのだろう。ちょくちょく英語の学習はしていたけれど、机に向かって勉強することができない自分に合うようにと試行錯誤したり、以前のように自分に負荷をかけて上達させるようなことはしてこなかった。明らかに自分に合った、効果的だっと思えるような方法ではなかった気がする。

英語に関しては中途半端で、口だけは達者なのにどことなく逃げ腰な自分が見えてきて、本当に嫌になる。後悔ばかりだ。ここで真剣に向き合わないと、英語ができないせいで逃してしまう機会は、きっと更に増えていく。

だから今、後悔から学んで試行錯誤し始めたところで、これがまた楽しい。私は形から入るタイプだから、準備が楽しい 笑

私に合った方法で、子供がいる今の生活でも続けられる方法を見つけていこう。準備だけで終わりませんように 笑