先月、フォトウエディングをした際に、夫との写真選びや写真を見た人からの感想で、どれだけ私が見た目と年齢を気にしているのか、完璧を求めすぎているのかということを考えさせられた。
私たちが選んだ写真館では、写真を撮ってからアルバムに使用する写真を選び、2か月後に修正された綺麗な写真でアルバム完成、という流れだった。私たちが選んだ写真館だけが特別なのではなく、多くの写真館で「綺麗に修正した写真が残せる」というのをウリの一つとしているのではないだろうか。
もちろん、一生に一度の事だし、一番綺麗な姿を残したいという思いを持つ女性も多いと思うので、それはそれで価値があるサービスだと思っている。私も綺麗な写真を残したいと考えていたが、修正されすぎている写真はどうしても好きになれなかったので、修正はしすぎないようにお願いした。まだ出来上がっていないので仕上がりは確認できていないが、どうか「作られた感」満載の写真にはなりませんようにと願うばかりである。
修正された写真のサンプルを見て、光で飛ばしすぎなど色々思うところがあったようで、この考えにはイギリス人の夫も賛成してくれた。実際に、夫の家族が見せてくれた夫の姉のウエディング写真には多くの修正はされておらず、自然な美しさを楽しめるものだった(プロに撮ってもらっただけあって素敵な写真が多かった)。
そんな考えを持つ私でも、長く残るものではあるし、アルバムには映りの良い写真を選びたいと考えていた。そして、夫とどの写真をアルバムに入れるかを選ぶ際、選ぶ写真の意見が分かれることが何度もあり、お互いの価値観のすり合わせが必要になることが、ここでもあるなんて!と面白がってしまった。
夫と私では何が違ったのかというと、夫は思いっきり笑って表情が崩れ、皺くちゃな私の顔が映っている写真を数枚気に入っており、それを選びたいと言い、私はこんなに派手に笑って皺くちゃな写真選ばなくてもいいじゃないか、もっと綺麗に映っているのを選びたいと主張した。
夫が言うには「これが自然で楽しそう・幸せそうに見えるし、どんな表情でも君だから美しいよ」とのこと。そういってくれるのは嬉しいけれど、この写真は好きになれない…と葛藤し、結局は妥協点を話し合い私がどうしても嫌だった一枚は、ナシにしてもらったのだった。自分は薄くなった後頭部が映る写真は断固拒否するくせに!とも思ったが、明らかに相手のコンプレックスな点は仕方ないかと、それは受け入れた。
写真選びは話し合いが必要だったが、おおむね満足しており、撮影した全データも購入したので時々眺めて楽しんいる。
そしてアルバムができる前に修正なしのデータを母に見せたところ、ここでハッと気づかされることを言われたのだ。
「笑いすぎ」「若くなから皺だらけの顔」といった、笑いすぎの写真が多いといいつつ…つまり、ウェディングフォトなのに皺くちゃで不細工な写真があるけどいいの?みたいな感じである。また、選んだ着物は私に似合っていてベストなものだったと自負しているが、母から言わせれば「年齢的にこれしか選べなかった」からいい選択をしたね、ということだった。
そうやって、悪気はないのよ~と言いたげな雰囲気を醸し出しつつ、娘の美醜を攻撃せずにはいられない、可愛そうな母親なわけだが、こちらの幸せな気分を吹き飛ばすのが好きらしい。娘が幸せになるのが許せないものね。
私がなぜ、夫が選んだ写真が嫌だと思ったのか、それは母から言われたことに繋がっていると気が付いた。「他の人(私の母のように見た目のことばかりコメントし、相手が傷つくことを平気で言う人)が見たらどう思うか」という視点を、私は少なからず持っていたのだ。
母だけではなく、この皺くちゃな顔の写真を他の人が見たら、母が私に言ってきたのと同じように思うかもしれない、だから嫌だと思ったのだと。実際に、予想通り母から言われたし。
特に母の周りにいる人は、母と同じように見た目や年齢に関してネガティブな反応をすることが分かっていた。母に写真を渡せば、その周りの人も見るだろうからいろいろ言われるだろうな…と、私は無意識のうちに気にしていたのだ。
「インスタ映え」という言葉に象徴されるように、どう良く見せるか、どう見られたいかという他人目線が重視されている傾向がある。だから修正して綺麗に見せるのがウリになるし、ウェディングなのだから綺麗に残すのが当たり前という感覚にもなる。
他人目線でどう見えるのかを重視し選択する傾向があるから、無意識に綺麗に整えなくてはという強迫観念に晒されている。
母のようにマイナス面に注目して見る癖がついている人は結構いるであろうから、誰かが見るものなのだから綺麗に整えておかなくては!という気持ちになってしまう。
そういった相手から、何と言われるかと考えてしまう。何か言われたら、自分が言われたことに傷つくから、他人からどう見えるのか気になってしまう。
これは私だけに限らず、snsが普及した今の時代なら「周りからどう見られるか・どう思われるか」ということを気にしないでいるのは、難しいのだろう。snsなんかに載せる気などなくても、snsを見慣れているから、それらのように他人に見せてもいいようにと綺麗にしたくなってしまう。
ここまで考えて私は、これが嫌だったのだと認識できたのだった。自分たちが幸せなら、崩れた顔の写真でも楽しかったよねって思い返せれば、それで良いのに。
夫は、自分の目から見ていいと思う写真、自分たちにとっていいと思う写真を選んでいた。自分たちの記念の為に撮ったものなのだから、自分たちがいいと思う写真を選んでいいのだ。
ここで人の目を気にする必要は無いんだと気が付いた。夫のおかげで数枚は自然に楽しそうに、幸せそうに笑っている写真が残せてよかったと思う。
因みに母には修正した映りの良い写真だけ渡したのだが、受け取ったときに「ふ〜ん」と言いながら、その辺にポイッと投げるかのように適当に、グチャグチャの物入れの上に置かれた。どうしようもねぇ母ですわ。