普段着として着物を着るのなら、完璧を求めなくていい

普段着として着物を着るのなら、完璧を求めなくていい

最近、着物にハマっているので、着てみたり組み合わせを楽しんだりしている。

そんな中で思ったことは、普段着として着物を着るのであれば、「美しく着付けなければならない」と着付けで習ったルールを全て守ろうとすると、いつになっても普段着として着れないのではないかということ。

美容学生の時、留袖や袴などの振袖以外の着物の着付けも習ったが、美容師になってからは 「お客様」への主に成人式での着付けがほとんどであった。

まぎれもなく、特別な日・晴れの日の為に着るものである。それは美しく、着崩れしない様に着付けることは重要であろう。

しかし、普段着として着るのであれば、日常生活の中で動くことも多いので、着崩れるのは当然のような気もする。

今まで習ってきたように着崩れない様にキッチリと紐を締めていたら、着心地が悪い。普段着として着るのであれば、着心地も重要である。

よりフラットに補正をした方が綺麗に仕上がるし、着崩れにくくもなるというが、毎日の生活であんなに補正をするのは苦痛である。

多少は着崩れても、直せばいい。

それに、自分で着付けるのであれば、全てピシッと綺麗には中々いかないものである。

長く着ている人であれば、ある程度は綺麗に着られるのかもしれないが、人に着付けてもらうのと自分で着付けるのとでは、どうしても仕上がりのクオリティに違いはでるだろう。

「綺麗に、平らに、着崩れない様に着付けなければならない」といった教えを叩き込まれてきたせいか、何度自分で着てみても気になるところが出てきて、一向に外出できなかった 笑

別に数センチ長くても、短くてもいいじゃん。多少皺になっていてもいいじゃん、普段着なんだから。

そもそも自分用に仕立てた着物ではないし、完璧になんて着れない。

洋服でだってほとんどが既製品だから、自分の体形に合ったものを探すのは大変だ。どう着こなすかは自分次第だし、正解はない。

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どんなことでも、完璧を求めていたらいつになっても始められない

中々始められない理由として、出来るようになってからやるとか、今は準備していると言えるのかもしれないが、出来るようになる日は何度も実践したからくるものだと思う。

どんなことでも、「準備が完璧に整う」「出来るようになってからやる」といっていたら、いつまでたっても行動に起こさないし、出来るようにはならないだろう。

やってから分かることは、たくさんある。

ある程度知識を得たり、少しでも出来るようになったのであれば、その後の成長はやった方が早いと思う。

着物を着ることに関して言えば、自分の自分に対するチェックも職業柄厳しいのかもしれないが、母からのチェックやそれ以外の知らない人たちからはどう見られるだろうと、気になってしまう面もある。

無いとは思うが、もし着物警察とやらに遭遇したら気分悪いしな~と 笑

でも失敗するのを恐れていたら、いつまでたっても着られない。

失敗しても、そこから得られるものもあるだろう。さて、周りの目は気にせずに好きなものを着よう。