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実家にお世話になりながら、イギリス配偶者ビザの結果待ちが辛いので記録しておく

実家にお世話になりながら、イギリス配偶者ビザの結果待ちが辛いので記録しておく

辛い。

毎日が辛い。

現在、4月にイギリスの配偶者ビザを申請し、結果を待っている。

£800を支払い、優先サービスを利用すれば30営業日で結果が出るのだが、7月に外せない用事があったので60営業日で結果の出る、通常の申請を4月にした。

7月に入り、あと2週間ほどで結果が出るかなと考えていた頃、追加書類の要請が来たのだが、相手側のミスで提出に時間がかかった。

その為、60営業日を過ぎて既に2週間ほどが経つが、未だに何の連絡もない。

自分たちのミスなのだから、迅速に対応してもらいたいものであるが、彼らはそうはしてくれないようだ。…ムカつく。

ビザの取得ができたとしても、自分のパスポートが返却されてから30日以内にイギリスへ入国する必要があるので、それに合わせて日本を出る準備をしなければならない。

そういった状況もあり、日本での仕事は7月の中旬に辞め、移住の準備をしつつ結果を待つことになるので、仕方なく実家にお世話になることにしたのだ。

これでビザが下りなかったら、イギリスという国に一生いい感情は持てないだろうと思う。

体が重い、何もする気が起きない

それほど強いストレスを感じている。

実はこれ、イギリスのビザ申請の結果が遅いことだけではなく、母との関係が大きなストレスになっている。

母からのストレスを予測できたので、なるべくギリギリまで働くことにしたのだが、ビザの結果がなかなか出ないせいで、この生活が長引いている。

経済的に不安定になる上に、実家に滞在しなければならないというのは、私にとってはかなり思い切った選択であった。

しかし、そうしなければイギリスのビザ申請とその結果待ち、イギリスへの移住は経済的に無理であったため、実家にお世話になることにした。

なるべく母とは関わらないことで、お互いに傷ついたりしない様に当たり障りなく過ごすようにしていたが、仕事を辞めてからは家にいる時間が増えたせいか、そういうわけにもいかなくなっている。

親と仲が悪いわけではないが、どれだけ親からの影響を受けてきたかを大人になってから気づいたことが多く、どうしても親とのかかわりは避けたいと思ってしまう。

子供のころは辛かったので、実家にいい思い出がない。

特に母から受けた影響は、マイナス面が多かった。

自分の生き方、考え方に悪影響があっただけでなく、感情を大いに傷つけられてきた。

大人になってから気が付いたことだが、今でも時々癒えきれない傷に襲われ、苦しんでいる。

私は母から離れると元気に生きられる

自分一人で暮らしていた時は、時々実家に帰っていたが、実家に泊まることはしなかった。いや、出来なかった。

しばらくすると、無性に帰りたくなるのだ。恐らく無意識に自分を守るためだったのだと思う。

無事に自分の家に帰ってからも、体がだるくて動けず、気分が落ち込んで何もする気が起きなくなってしまうことが続いた。

母と2泊3日で韓国旅行へ行ったときは、帰ってから1週間ほどそんな状態になり、母との関わりを絶たないと、もう生きていけないと思ったほど酷かった。

日本が生きづらい、旅に出たいとか海外で生活してみたいと考えるようになったのは、本当は親から離れたいという思いが根底にあったのかもしれない。

母の発する言葉や行動に敏感に反応してしまい、辛かった子供のころを思い出す

今日は朝早くから、母が掃除機をかけていた。

壁や階段に掃除機をガンガン当てて大きな音を立てながら掃除機をかけていたのだが、これが私の穏やかな一日を奪った。

こんなちょっとしたことで、子供のころ、母にされていたことを思い出したからだ。

母は仕事と家のことに追われ、いつもピリピリしていたのだが、気に入らないことがあると物に八つ当たりをし、大きな音を立てながら家事をしていた。

母は仕事と家事に追われる生活が辛かったのであろうが、父と母がお互いの生き方について話し合ったり、自分の要望を伝える努力をしたりということはなく、不満に思っても黙って我慢するのが普通なようだった。

全て子供の為と言い聞かせていたように思う。離婚は経済的な面を考えても恐らく選択肢になかったのであろう。

父が家事を手伝うことはなく、弟は男の子だからか手伝えと言われたことはなかったので、家事に対する母の怒りの矛先は私と姉になった。

言葉にしての「なぜ私の役に立たないのか」という攻撃と、無言の圧力を常に感じていた。

姉は一番年上だったせいか、私よりも母と過ごす時間が短く済んでいたので、少しはマシだったのかもしれない。

姉や弟は無条件に新品を買ってもらえたし、それなりのお小遣いをもらっていたが、私はお下がりが多かったし、家事の手伝いをしないと十分なお小遣いをもらえなかった。

姉と弟は学費も十分に投資してもらえていたが、私は小さいころから我慢すると「いい子だね」と褒められたこともあり、塾にもいかず大学への進学も諦めた。

小さいころから、お金をかけない様に親からコントロールされていた。

そのせいか、私がお金をかけないことが、母への経済的な助けになると思うようになっていた。

「母の役に立たなければいけない」といった強迫観念によって、どれだけ制限された生活を送ってきたか、どれだけの機会が奪われたかを考えると、とても辛くなる。

自分に時間もお金もかけていいのだと、自分に投資ができるようになるには時間がかかった。

とにかく母から離れろ

いくら私が我慢をして母の助けになろうとしても、母は決して満足などしない。

根っこには母の心の問題があるので、私ではどうにもできない。

母は考えないし、学ばないので成長しない。

人の本質なんて、そうそう変わるものではないと思っているので、母が変わることもないと思っている。

確かに言えるのは、私は母を愛せないということだ。頑張ったけれど、無理だということに気が付いてしまった。

母は私を愛してなどいないし、いかに私が母の役に立ち利用価値があるかどうか、いかにコントロール可能かということしか気にしていないと思っている。

そもそも母は自分さえ愛せていない。

もう母との関係は、とうに諦めている。関わらないのが一番であることは分かっている。

しかし、今はビザの結果待ちで自分の精神状態が良くないせいか、母をスルーする力が鈍っている。

イギリスのビザ結果待ちが長引いているせいで、こんな思いをするとは思わなかった。早く実家から離れないと死にたくなりそうである。

ビザの結果待ちが、実家にいることでさらにハードになっている。

ああ、旅に出たい!!