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娘、散歩に出かけて50ペンスを得る

娘、散歩に出かけて50ペンスを得る

あぁ、やっと娘が寝た。

離乳食を始めてから、時々便秘になる。久しぶりに便秘になってしまって、先程までウンチが出なくて泣き叫んでいた。いきんでも中々出なくて辛そうだった。

長い戦いだったし、まだ出し切っていない感じだけれど少し楽になったみたい。次あたり大量のウンチがでてまた服を汚し、娘の嫌いなお着替えをしなければならなくなるだろう。

娘の戦いはそこで終わり、私の戦いはそこから始まる。とりあえず、お疲れ様。今はゆっくり休んでくれ。

さて、昨日、娘との散歩中に信号待ちで一緒になった夫婦が、50ペンスくれた。日本円で80円くらいだ。

あらあら可愛いわね〜、名前は?何歳?から始まり…あら、日本の名前なの!どんな意味?などを聞かれ、お喋りしながら歩く。もう忘れてしまったが、その人達の名前も教えてもらった。う〜ん、確か男性の名前はダンだったかな?

超フレンドリーな方々で、お喋りしつつポケットをガサゴソ…。はい、これ!おこづかい!って感じで50ペンス硬貨をくれた。

私の可愛い娘は、散歩に出かけただけで50ペンスを手に入れたのだ!イギリスなら、これでクッキーやチョコレートが普通に買える。まだ食べられないけど。あ、バナナならいいかも。

働かなくても、食べて寝てウンチして、遊んでいるだけで、いろんなものを恵んでもらえる。いいなあ、赤ちゃんって 笑

考えてみれば、こうやって愛嬌を振りまき、何らかの支援を得るというのは、全く意識せずに娘がよくやっていることだ。

可愛い娘のためならと母親である私からは24時間のお世話と母乳、父親からもあらゆるお世話や支援を引き出し、祖父母からは見てるこっちが恥ずかしくなるほど可愛がられ、大量のおもちゃや服を与えられ、物でなければお金の支援を得ている。

赤ちゃんが可愛いのは、生き残るため、快適に生きていくための戦略なのだろうか。

もう何でもしてあげたくなるよね。可愛いから。

私の生い立ちの影響もあってか、私は素直にありがたくものを受け取れない。プレゼントやお祝いも、受け取ったものと同等かそれ以上のものを返さないといけない気がするし、自分にはそれを受け取るほどの価値などないと思ってしまう。

いくら何でも、私が赤ちゃんの頃からこうだったわけではないだろう。こう感じてしまうのはとても卑屈で嫌なのだが、経験上こうなってしまった。

これから娘は、どんな形で、どんな人から、どんな支援を受けて育っていくのだろうか。娘には、人からの善意を気持ちよく受け取れるようになってほしい。プレゼントでもお祝いでも、ちょっとしたおこづかいでも。

特に祖父母からは、ありとあらゆる支援を引き出してしまえ、と思う。

だから最近は、私が娘を祖父母に売り込んでいる。ちょっとモヤモヤするが、私のことはあまり好きではなかった両親も、孫のことになるとちょっと違うらしい。こんちくしょう。

さて、私達が散歩中に出会って50ペンスをくれた人達は、ちょっとしたことで人を喜ばせたり楽しい気分にさせてくれる人だった。相手が赤ちゃんだったからというのもあるかもしれないが、知らない人相手でもあんなに明るく話しかけて、アッサリと距離を詰めることができる能力が私にもあったらいいなと思う。

しかも赤ちゃんが相手だろうと、相手に名前を聞いたら自分も名乗るところが何かすごい。私にはそんなこと思いつかないし、できないことだ。

たまたま信号待ちで一緒になった相手に話しかけ、一緒に歩きながらいきなり50ペンスのお小遣い。50ペンスは大した金額じゃないのだけれど、この50ペンスの使い方が上手だなと思う。

大した話はしていないのに、何か忘れられない出来事だった。