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何かモヤっとしたら、それは自分の不都合な現実と向き合うチャンスになる

何かモヤっとしたら、それは自分の不都合な現実と向き合うチャンスになる

最近、産後すぐに働き始めた友人とのメッセージのやり取りで、何かモヤッとした瞬間があった。

何故か相手に対して、ズルいと思ってしまうような、あまり好きではないモヤッとした感じだった。自分の心がドロドロしている、嫌な感じ。
友人は全くズルくなんかないし、産後すぐに働くことが羨ましいわけでもないのに、なぜモヤッとしたのだろうか。

私は子供が4歳になってイギリスの学校に通うようになるまで、外では働かずに子育てをすると決めている。それは私が望んでいることだし、この生活は幸せだ。
それなのに、なぜモヤッとするのだろう。

友人の何に反応して、モヤッとしたのだろうか。

まず考えたのは、子供のことではなく自分のことができるから、ということだ。たとえそれが仕事であっても。
仕事と子育ての両立は大変だろうとは思うが、友人は子育てを保育園へアウトソーシングして、子育て以外のことをする時間を作っている。
私もたまには自分の時間が欲しいとは思う。でも、愛娘を保育園へ預けてまで働くほど自分がやりたい仕事は、今のところ無い。今私がやりたいのは、子育てだ。だから、子供を保育園へ預けて働くことが、私のやりたいことではない。

では、何にモヤッとしたのだろう。

働いて社会と繋がっている感じ?…いや、別にそれは無くていい。私は外で働いてても、結局は孤独だから。まぁ、これは働き方にもよるだろうけれど。
今は子育て中心の生活だからそれは受け入れているし、この四六時中娘に愛されてる感じの方が、私にとっては価値がある。幸せだ。

では、このドロドロした嫌な感じは何?どこからきた?

自分のモヤモヤに向き合ううちに、あっ!と閃いた。私がモヤッとしたのは、友人のメッセージではなくて写真の方だったのだ。

産後すぐなのに、身なりを整えて働いている姿が、いいなぁと思ったのだった。
私は子育て中心の生活で、小綺麗にしても直ぐに子供の吐き戻しや離乳食によって服は汚れる。小綺麗を保てる生活ではない。体型も変わって、仕事をしていた時の服は似合わないので、もう着られない。

たまに離乳食のご飯粒が洋服についたまま散歩に行ってしまったりする。拭き取っても、取り切れずにカピカピになって残ってたりするけど、少しくらいいいかと諦めたりする。

でも、働いている最中なら子供に服を汚されてしまうこともないので、好きな服が着れる。メイクもできるし、アクセサリーも気兼ねなくつけられる。
こんなちょっとしたこと、大抵の人にとってはたぶんどうでもいいことに、私はモヤッとしたのだ。好きな服が着られず、メイクもアクセサリーも諦めることは、私にとってストレスなのだ。仕事のため、小奇麗にしていた友人にズルいと思ってしまいそうなほど、歪んだ感情だ。友人は全くズルくなどないのに、どれだけ心が荒んでいるのだろう 笑

ただ好きな服を着て過ごしたい。これが単純な私の本心なのだから、これに応えてあげよう。汚されても洗えて、気分も上がる服を自分に用意しよう。アクセサリーはどう考えても安全のために控えたほうがいいだろうけど。

むしろ私の本心が「働きたい!」じゃなくてよかった。気分の上がる服を用意するより、どこで働くか・どこに子供を預けるのかを探す方が大変なのだから。

こうやって自分のモヤモヤに向き合わなかったら、子育てをする生活が嫌で働きたいのかも…と勘違いしていたかもしれない。娘のことが最優先だから仕方がない面もあるけれど、少しは自分の欲に正直に生きないと心が荒んでいく。

…そう思って先日、小綺麗にしてみたが、なぜか前のようには気分良くはならなかった。

なぜだ!
私の予定では、好きな服を着て気分が上がるはずなのに!

思い当たることは1つしかない。
悲しいことに、いいかも!と思った服が私の思う通りにキマらないのは、産後緩んだ私の体型のせいだ。直ぐに体型を戻すための行動もせず、疲れた・忙しい・めんどくさいと何かに付けて理由をつけ、改善してこなかった。

あぁ、これで辛い現実に向き合わなればならない。

9月には家族でキプロス島へ旅行に行く予定だから、水着も用意した。
産前に着ていたビキニは、とてもではないが着られない!いや、私がどんな水着を着ようと気にする人などいないから、人にどう見られるかは気にならないけれど、ビキニが着られなくなったこの自分の姿を受け入れたくはない。
あー、これは、私の戦いだ。

結局、私がモヤモヤしたのは、小綺麗にして働く友人でもなく、自分の好きな服やアクセサリーが身に着けられないことでもなく、自分自身の体型に対してだったのだろう。

自分のモヤモヤに向き合っていたら、友人の体型が羨ましいわけでもないのに、なぜか自分の体型に行き着いてしまった。
いや、たぶん…好きな服が似合う体型になったうえで、好きなを着るというのが私のやりたいことなのか。

ふと思った不快なモヤモヤには気をつけないといけない。自分自身の問題に蓋をして、こうやって歪んで形を変え、誰かに向けてズルいと思ってしまうから。

他の誰かに対してズルいと思ってしまったら、よーく掘り下げて考えるようにしている。よく考えると大抵はその誰かはズルくなどなく、自分の何かに対して不満がある。
自分のことは棚に上げて誰かを攻撃するほうが楽だから、油断すると誰かに向けてズルいと思ってしまう。ズルいと言って相手を下げようとするのだから、そう思って自分の本心に向き合わない方がズルい。健全な考え方には程遠い。

さて、これから肉体改造に励むとしようかな。9月のキプロス旅行を楽しむためにも!
私は自分だけの世界で、自己満足に生きてるなぁ…とつくづく思う。