2023.7 ブログ名を変更しました
この生活に飽きてきた…生みの苦しみが恋しい

この生活に飽きてきた…生みの苦しみが恋しい

何かを生み出すには、生みの苦しみが伴うと思っている。

私にとって、生みの苦しみというのは、何か新しいものを生み出そうとするけれど何も思いつかなくて…色々試行錯誤して…というものではなく、何か運悪く(運良く)経験してしまったことが切っ掛けで生み出されることが多いので、その経験やそれによって感じたこと・考えたことが生みの苦しみとなる。自分の経験から何かを感じたり、考えたりすることなしに、面白いものは生まれてこない。

何かやろう、何かやりたい、こうしたい、ああしたい等と思ったら、大抵はそれをするのには力不足な自分であることが多い。直ぐに行動に移せることも中にはあるが、それは今までやりたくても何となく重い腰が上がらなかっただけで、さして重要でもない事や面倒くさいと感じるものだった。

だから、生みの苦しみが伴うような経験は、大抵のことはある程度の準備が必要だったり、自分に負荷をかけて鍛える必要があるものばかりだ。そうでなければ、運が悪かったとしか言いようにない、突然自分に降りかかってしまった不幸なことくらいだろうか。

そんな生みの苦しみを、最近は味わう余裕がない。
それが地味にストレスになっている。

子育てと家事で疲れ切ってしまい、それ以外の何かに時間が使えない。ネットサーフィンしている時間はあるのだから、やろうと思えばできるのかもしれないけれど、「やる」までいかずに体が動かない。それに、娘がいるからやり始めても直ぐにできなくなる。目が離せない1歳の娘とずっと一緒の生活で、自分が思っている以上に気が張っているのかもしれないし、娘を出産してから一人の時間が取りにくい。
恐らく、単純に自分のことをやる元気がないのだろう。それより休息、ダラダラしたい、というのが勝ってしまうから、娘が寝て落ち着いた時間にやることと言えば、手軽にできるネットサーフィンになってしまう。

この生活をどのくらい続けるのかと考えると怖い。このままでいいのかと、最近はよく考える。
いや、このままでは良くないと心の底では思っているから、考えてしまうのだろう。

あー、このモヤモヤの正体を私は知っている。私はこの生活に飽きてきたのだ。子供の成長は早いし何一つ見逃したくないから、娘と過ごすこの時間は幸せで、この生活も自分で納得してしていることなのに、飽きてきてしまった。いや、なんて恐ろしい…。

でも、人間は飽きる生き物だよね 笑
いくら今が幸せで、この生活を望んでいたって分かっていても、慣れてくると違う刺激が欲しくなってしまうのは、仕方のないこと。

こうやって文章にして書き出すことが好きなのに、今はそんな時間も取れないし書きたいこともあまりないのが寂しい。こういう発見があった、こう思った、こう感じた、と書いて吐き出すことが前ほどないのが、刺激が少ないことの表れだろう。生みの苦しみが少ない生活だ。

娘の成長を見て色々感じることはあるし、いろんな発見もある。でも、これは趣味とは違うから、何かこれじゃないんだよなあ…といったモヤモヤがある。
何かがやりたくて仕方がないけれど、やる余裕がない。でもこの生活に飽きてきたから何とかしないと、そのうち爆発しそう。

ここまで書いて、いくら考えても何の解決もない 笑
このままモヤモヤしたまま、ズルズルと過ごすのだろうか。このまままた数年経ってしまうのだろうか。

こんなどうしようもないモヤモヤを、ここに記録しておこう。