英語を学ぶほど実感する、日本語(母語)の大切さ

英語を学ぶほど実感する、日本語(母語)の大切さ

気が付いてみれば、イギリス人の夫と国際結婚をしてイギリスへ移住してから4か月が過ぎた。

時間が経つのは早いなあと思う反面、今のような引きこもりの日常を送って英語がもっとうまく使えるようになるとは、到底思えない。

英語の勉強をしようとは思うものの、日本語のようにスムーズに理解できないストレスは常につきまとう。

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日本語で考えたい

本を読むのが好きなので、英語で読めればもっと楽しめる!とも思うのだが、読みたいテーマの本は英語では難しくて読めない。

分からない単語も多いので、調べて読み進めるのもだんだん嫌になってくる。

…かといって子供向けの本は楽しめないし、日本でいうビジネス書とかハウツー本みたいな軽いノリの本は、つまらないから読み続けられない。

英語力が無く理解できないせいで、何だか自分が馬鹿になったような気がして嫌になり、無性に日本語の本を読んだり日本語の文章を書いたりしたくなるのだ。

また、英語の言い回しがやっぱり日本人とは感じ方や考え方が違うよな…と気になるときがあり、そういう時は尚更いろいろと考えたくなってしまうのだ。もちろん日本語で。

文化の違いや歴史的背景やこれからのことを考えだしたらキリがない。でも止められない。

英語では理解がスムーズにできないし、考えるときは自然と日本語を使うことは、母語が日本語なのだから当然なのだけれど、日本語が頭から離れない。

英語学習には邪魔になってしまうから困ったものだ。

皆、どうやってこの壁を越えたのだろうか。

考える力を付けるには、母語が必要

そういう時にふと思うのは、無条件に英語は良いものだ!英語圏の文化最高!といった考えを持っているのであれば、きっと英語の習得難易度は下がるだろう、ということだ。

私のように、いちいち文化や考え方の違いに引っかかって進まない、ということはないだろうから、スムーズに英語が入ってくるのではないかと思う。

もしくは、そもそも日本語にそこまで触れていない、日本語での思考自体が洗練されていない場合だ。

そもそも日本語で深く考えることをしていなければ、そこまで英語とのギャップを感じなかっただろう。

そう考えると、やはり子供の頃とか、10代の学生の頃とかにもっと英語に触れておけばスムーズに身に付けられたかもしれない、とは思う。

しかし、その頃から英語に触れていた場合、母語である日本語で本を読み考える機会は、これほど持てなかっただろう。

ここまで日本語で考えることをしなかったと思うし、ここまで読書して考えることを楽しむことはできなかっただろう。それができるのは、多くの日本語に触れて日本語で考えてきたからだ。

考えるときに使う母語がしっかりしていなければ、深く考えることはできないのではないかと思う。

10代の頃の私と今の私がこれほどまでに違うのは、もちろん経験を重ねてきたこともあるが、たくさん本を読んで考えてきたからというのが大きいと思っている。

周りを見ていても、本を読まない大人は視野が狭いし、中には内面的な成長が止まっていて子供のような考えしかできない人もいる。

そういった大切な読書、活字に触れること、考えることをするには、母語が必要なのだ。

母語で学べる環境を捨てていいのか?

では、子供のころから英語に触れて、母語の日本語と同等に使えるバイリンガルの場合、聞こえはいいかもしれないが、どちらも中途半端にならないだろうか?

英語と日本語の文化の違いは大きいから、違いの大きい言語をどちらもスムーズに使えるまでには、かなり時間がかかるのではないかと思う。

日常で使うには申し分ないかもしれないが、高度な思考ができるまでにはどちらかの言語をベースに時間をかけて学び、考える必要があるだろう。

高度な思考なんてできなくてもいい時代であれば、上記のようなバイリンガルでもいいかもしれないが、高度な思考ができないと貧困に陥る可能性が高いのではないかと思う。

私たちは、資本と知識がある人達が生きやすい世界に生きているからだ。

いくら英語を使えても、英語母語話者と同等に思考できるようになるのは難しいだろうし、ただ普段の生活に困らないくらいの日本語と英語が使えるだけでは、何の強みにもならない。

こう考えるから、私は日本が進めている英語化には懐疑的だ。

日本語を使うときに一番高いパフォーマンスが出せるのに、日本語でもできる事をわざわざな英語を使って行おうとするのも理解できないし、子供に英語教育を多く受けさせるよりは母語の日本語でしっかりと基本的な知識を身に付けさせてあげた方が良いと思う。

日本語だけで問題なく大学の教育まで受けられる恵まれた環境を、自分たちの手で手放していいのか?

英語を早期教育で取り入れたり授業を英語で行うことは、自分たちが一番いいパフォーマンスを出せるはずの母語を使わないで学習するということだ。

それは、母語を使ってしっかりと考える力をつけ、成長していくことを邪魔してしまう気がする。

日本語が母語の私が、英語で考えることにストレスを感じる今のような状況を考えると、それが良いことだとはどうしても思えない。

しかも多くの親は、その苦悩を知らないわけだ。

親が外国語を身に付けた経験があって、こういった思いを知っているのであればまだ救いはあるかもしれないが、日本の場合それは少数派だろう。

使えるのが日本語だけでも、日本で安心して暮らせるような国にした方が良いのではないかと思う。

さて、また余計なことを考えて英語の学習から逃げてしまった。

…勉強しよ。