クリスマスと家族関係

近日中に、義両親からのクリスマスプレゼントが送られてくることになった。

先日、イギリスのスーパーマーケットチェーンSainsburyが所有するArgosの420店舗閉鎖と3500人の従業員を解雇というニュースがあったが、そのArgosのセール品で良いものが見つかったので早めに購入しておこう、ということらしい。Argosもきたか!とコロナの経済への影響は怖いと思いつつ、プレゼントとなる好みの冷蔵庫が安く手に入ってラッキーだった。

こんなに早くにクリスマスプレゼント?という感じではあるが、イギリスでは10月(早いところでは9月)からクリスマス向けの商品が店頭に並び、日本に比べてクリスマスを楽しむ期間が長い。日本とは違い、イギリスはキリスト教国なだけあってクリスマスは家族で過ごすという文化が根付いているし、大切な行事なのだ。クリスマスに対する気合からして全く違うので、別にクリスマスだからってそんなにしなくても良くない?などという私の本音は言わない。

現在イギリスはコロナウイルスの影響でロックダウン中であるが、コロナがクリスマスの過ごし方に及ぼす影響への話題は何度も目にしている。11月5日から12月2日までのロックダウンに踏み切ったのも、クリスマスを考慮してのことでもあるのではないかと思う。

その大切なクリスマスの過ごし方だが、残念ながら今年は恐らく夫の家族と過ごすことはできないだろう。きっと、姪っ子ちゃんたちに贈られた沢山のプレゼントを目にすることもない。

去年のクリスマスは彼らと初めて一緒に過ごしたが、美味しいごはんとたくさんのプレゼントに囲まれ、面食らった記憶がある。私は誕生日やクリスマスのプレゼントがもらえたのは小学生までだったし、親戚からプレゼントをもらうことはほぼ無く、プレゼントをくれたのは基本的に両親だけだった。

プレゼントを貰い慣れていないのでプレゼントをもらうと罪悪感を感じ、これをもらったらお返しに私は何をしなければならないのだろうとか、人から何かをもらう価値など私にはないような気がするとか、色々と骨折した内容が頭をよぎって素直に受け取ることができない。そのせいか去年のクリスマスはこれ貰っちゃっていいの?大丈夫?といった心配をすることとなった。

当たり前のようにプレゼントを受け取れる夫と自分とのギャップと、子どもの頃にこれだけいろんな大人に気にかけてもらえる可愛い姪っ子ちゃんたちを見ていると、いろんなことに気づかされて時々苦しくなるが、自分の過去は変えられないし今さら私が欲しかったものは手に入らない。家族関係に関わるこういったイベントは、虐待されていた子供のころの記憶がよみがえって苦しくなる。

子どもの頃の記憶と上手く付き合う方法は私にはまだ分からないが、プレゼントをもらったり、こちらの家族に助けてもらったときに感じる申し訳なさ薄めるには、自分から彼らに何かを与えるのが効果的だった。特に、姪っ子ちゃんたちと友達のように関わるのは楽しく、人間らしさを取り戻しているような気分になる。

私も早くクリスマスプレゼントに何を贈ろうか、考えないとなあ。クリスマスの場合、何が欲しいか聞かれてそれを買うことが多いようだが、特に言われなければ考えて用意する必要がある。プレゼント選びって難しい。

…それにしても、冷蔵庫のプレゼントは本当にありがたい。今の小さい冷蔵庫に慣れてしまって、これでも問題なく生活できるしと買う気も無かったが、言われてみれば大きいものが使えた方が便利だ。

貧乏性なので、あると便利だけどなくても問題ないものは買わないというのが染みついているせいか、欲しいものある?と聞かれても大して思い浮かばないし、更に言えば「必要なものは自分で買うべき」だといった考えも沁みついているので、買ってもらうという発想さえ出てこない。もう少し贈ったり贈られたりするのに慣れていきたいなとは思うが、時間はかかるだろうな。

たぶん、日本の家族よりこちらの家族とのほうが強いつながりができそうだと思う。こちらの家族は自然に当たり前のように助け合っているけれど、私の日本の家族はこれがない。一見面倒なことでもお互い様だと、助け合うことはしない。

おそらく私の日本の家族は、役に立つかどうかで判断したり役割を押し付ける関係だったし、親から与えられたのは条件付きの愛だったから辛かったのだと思う。こういうことに30代になってから気が付くのだからキツいけど、自分に必要な成長だと思って、ここで家族との付き合い方を学ばせてもらおう。