私は「お下がり」が嫌いである。
私は女・女・男の3姉弟の中間子で次女だった。この構成なので、当然姉からのお下がりが多かった。長女の姉には当然新品を、長男の弟にも性別が違うからという理由で、ほとんどの物が新品だった。それぞれ4歳差ずつ離れているので、弟までは古くて回せないという理由もあったのだろう。
お下がりが当然で選択権がない
お下がりと言えば服やバッグ、小物、おもちゃや本など色々あるが、私が嫌だったのは服のお下がりである。服はお下がりが使われることは一般的であると思うが、私は服に対するこだわりが強かったので、服のお下がりが嫌で嫌で仕方が無かった。
姉はあまり服装にこだわりが無かったと記憶しているが、私は自分の好みがハッキリしていたし、気に入った服を着ることは気分良く生活するためには必要なものであった。しかも姉は子供のころ身長が高く、私は身長が低かったので、同じ年齢で同じ服を着てもサイズが合わない上に、服の好みも違っていた。
姉は自分のサイズに合った、自分の好みのものを着られるのに、私にはそれができないことが悔しくて仕方が無かった。また、姉とは4歳差なので服の流行りも微妙に違っており、何となく古臭かったのも嫌だった。
普段着はもちろん、小学校卒業式のフォーマルジャケットにワンピース、中学校・高校で着る冬物コート、時にはバッグなどの小物もお下がりだった。運良く私は新設の中学校に通うことになったので、制服のお下がりは回ってこなかったが、同じ中学であったら確実にお下がりだったと思う。
こういったものは特にお金がかかるものだから、使えるものは使いたい気持ちはよく分かる。無い袖は振れないこともあるだろう。でも、無い袖は振れない状態であれば、せめて希望に添えなくてごめんねとか、我慢してくれてありがとうという言葉が欲しかった。他の姉弟は当たり前に与えられるものが、私には与えられなかったのだから。
お下がりが嫌いな理由
こういう経緯があり私はお下がりが嫌いなのだが、ただ単にお下がりが嫌いになったのではない。
私の好みや気持ちを尊重してもらえなかったから、お下がりが嫌だったのである。ファッションに興味があり服が好きなのに、問答無用でお下がりを渡されるのだ。どんな気持ちで気に入らない服を着ているのか、どれだけ我慢をしているのか、姉弟との不平等感は…などは一切無視だったので、私はそれに傷ついていたのである。
小学校高学年・中学生・高校生の頃は「これは高かったし質が良いものだから」「デザインが素敵でしょ?」等と母に説明され、気に入ったふりをしながらお下がりを着ていた。その頃の母の口癖が「お金が無い」だったので、母の役に立つために我慢するようコントロールされていた。学費がかからない様にするだけでなく、服などの日用品も母のご機嫌を伺い、我慢を重ねたのである。
お下がりには私の負の経験・記憶がたんまり詰まっているので、子供の気持ちを無視してお下がりを使うのは嫌いなのである。特に私の娘も服に対するこだわりは強いので、娘が好きな物でない限りはお下がりは使わないと決めている。
屈辱の裁縫セット
お下がりの経験で最悪だったのは、小学校の家庭科の授業で使う裁縫セットだった。
私以外のクラス全員が新品の裁縫セットを買ってもらう中、母の意向で4歳上の姉と一緒に使えばOKと、姉が選んだキャラクターが描かれた姉の裁縫セットを使わせてもらう、という形となった。
授業で使うものなので基本的には同じ内容ではあるが、4年も経てば若干の違いがある裁縫セット。みんながスムーズに新品の裁縫セットから必要な道具を取り出す中、一部は古い型の道具を使ったり、道具があるはずの場所になかったりで、私は時々戸惑いながら授業を受けていた。
初めてミシンを使う授業の日、不運にも姉と家庭科の授業が被ってしまったのだが、当然姉は自分の裁縫セットを持っていった。そして私は、母が使っていた裁縫道具を汚い缶の小箱に入れて持たされたのである。ぐずった私にごめんねの一言もなく、五月蠅そうに私を見ながら「無いんだから仕方ないでしょ」と不機嫌に言い放ち、終わらせた母。
その家庭科の授業で、みんながミシンに使う新品の道具を開封して盛り上がる中、道具がないから授業についていけず、クラスメイトからは何で持ってないの?という目で見られ、教師からは気まずそうに避けられた。
母の古い裁縫セットは持っていった。だから裁縫セットを忘れたわけではない。でも、母の裁縫セットには必要最低限の針と糸、糸切りバサミ、針山と待ち針などがあるだけで、ミシンに必要な道具など一切入っていなかったのである。
道具がないから実践ができないけれど、覚えなくては次の授業でついていけなくなってしまう。ただ下を向いているわけにもいかないので、全てをシャットアウトして心を無にする事もできない。
手順などは覚えつつ、早く授業が終われと時間が過ぎるのを待った、45分間のあの惨めな時間は忘れられない。
裁縫セットが買えないほど家は貧乏ではなかったように思うが、買ってもらえなかった。そして4歳下の弟は、もちろん新品の裁縫セットを買ってもらっていたのだから、とても傷ついた。姉の裁縫セットは、男の子でも使おうと思えば使えるキャラクターだったからである。
しかも姉は裁縫に興味はなく、私はそういったことが好きだった。ここでも私を尊重してもらえなかった上に、惨めな45分間の授業。
お下がりの中で、この裁縫セットが一番、屈辱を感じた物だった。
私の惨めさの象徴ともいえる、この裁縫セット。一部の道具は、未だに私が持っている。なぜなら社会人になって家を出る際、必要な時もあるだろうし持っていけば?と母に渡されたからである。無神経な母のこの行動も、惨めな気持ちを私に刻み付けた。母の目の前で粉々に壊してやりたかった。
未だに怒りや悲しさを感じるのに捨てられず、何故かイギリスにまで持ってきてしまった。処分できる日はまだ来ない気がする。
お下がりなんて大嫌いである。