ババアであるという自覚はあるが…

ババアであるという自覚はあるが…

私はババアである。40代…立派なBBAである。

何故かオバサンよりもババアのほうが響きが潔くていい気がするので、私はババアでありたいと思う。

同年代の女性を見て、「えっ、このオバサン私と同い年なの?」と思うことがあるのだが、きっと傍から見れば私もこんな感じのオバサンなのだろうと思う。残念ながら自分でも見た目も体の機能も衰えを感じるので、ババアになったなと思う。

私は20代後半で少しずつ加齢による体型の変化を感じ、自分の体と向き合って健康に気を配るようになり、30代を迎えた。そのお陰で30代前半は自分史上最も体が引き締まっており、肌の調子も良く健康に過ごすことができたが、30代後半に入り初めての妊娠・出産を経験し、それによる強制的な体の変化と育児による慢性的な疲れやストレスは体へのダメージが大きかった。

40代に入り、ここでどう頑張ってももう出産前の状態には戻れないなと思ったのは、加齢の影響をまざまざと感じたからである。

加齢は一気に進むのではなく、日々じわじわと進んでいるので、ある日ふと気がついたらこんなんなってる〜!という感じだった。ババアであると自覚はしつつも、ババアである事を受け入れて生きていくのには、きっとそれなりに時間ががかる。

加齢によって衰えを感じ始めると本当に悲しいし、切なく、虚しい。若いころに戻りたい等とは一切思わないけれど、若い体はマジで羨ましい。子供の傷の治りの速さには毎回驚かされるし、子供と一緒に写った写真で肌質の違いや自分の顔のたるみや皺などを見ると発狂したくなるけれど、これが現実である。

この現実を受け入れないと、仕事中に何度も目にした若さと美しさに執着した化け物のようなオバサンになってしまう。どんなに頑張っても、加齢には抗えない。それが自然なこと。余りにも不自然なことをし続けると、どこかで歪んでくる。

日本で美容に関わる仕事をずっとしてきて、いろんなお客さんをみてきて感じていたのは、美しさや若さに固執している人達の生きづらさである。いくら外見を取り繕おうとしても老いによる衰えは避けられないし、美しさや若さに執着していては幸せになりにくい、ということを何度も目の当たりにしてきた。

堂々とババアでいた方がカッコいいと思う。

だから、自分は年相応にババアなのだと自覚を持ちつつ、その中でどう自分の体と付き合っていくかということを、よく考えている。悲しいし、虚しさも感じるけれど、清潔感は失われていくし体の機能も衰えていく。「老いていくのは仕方がない」「健康であることが一番大事なのだ」と、ババアであることを自覚し受け入れていこうとしている。

それなのに…そんな状況にも関わらず、私は妊活もしている。

40代の妊活は厳しいことは知識として知っているし、胞状奇胎や化学流産で長引いている妊活を経験している最中なので、その厳しさは身をもって実感している。頑張っても上手くいかないことはあるので、妊活をしつつも諦める準備もしている。

ババアなのに妊活をしている自分が、時々ではあるが若さや美しさに執着して生きづらくなっていた人達と重なってしまって、自分でも何をやっているのだろうと可笑しく感じることもある。加齢による変化に適応しようとしつつも、加齢によって成功率がどんどん下がっていく妊活をしているのだから、自分の中に矛盾を抱えているような感じなのだ。

若さや美しさへの執着も、妊活も、諦められたらどんなに楽だろう。加齢による変化を受け入れようと思うなら、若さや美しさへの執着だけでなく、子供が欲しいという気持ちも手放せるようになったほうが良いのかもしれない。簡単にできることではないけれど。

たぶん「何をどう頑張っても無理」というところまで行ったら、諦められる。…というより、諦めざるおえないところまで行ってしまえば楽になるのだろう。そう考えると、頑張ればまだ何とかなるかもと思えてしまう今が一番難しい年齢なのかもしれない。

ババアである自覚はしているのに妊活をしている自分は、滑稽である。ババアのクセにって自分でも思う。

妊活に関しては時間が経てば何かしらの結果が出るのだから、それを受け入れるだけ。最終的な結果が出るまであと数か月、長くても1年だろう。自分にできることは、1周期も無駄にせず、やるべきことを淡々とこなしていくことだけである。

どんな結果になろうとも、全力で向き合ってその結果を受け入れる。そして、そこから学べることもきっとあるのだろう。また痛い目を見れば、きっともっと人に優しくなれる。それで自分が成長できれば、潔い・カッコいいババアになれるかもしれない。