情があるか無いか

情があるか無いか

娘が学校に行っている間、自由な時間ができてから数か月が経つ。

読書をする時間が取れることは嬉しいが、妊活は失敗続きで幾度となく大きな体調の変化に曝され、ストレス続きなこともあり、時間が空くと考え事をすることが多くなった。

20代の頃はガムシャラに頑張れたが、年を重ねるにつれて自分がもって生まれたものは何かということを考える機会もあり、自分の能力はこんなもんだ、この程度のものだと分かってきた。この程度の能力を有する私が、ここまでできたのならそれで十分と思えるものもあるのだから、それはそれで良いのだろう。

自分がもって生まれたもの、能力や性格などの自分の特性を考えながら先のことを想像したとき、どうしても両親の生き方について考えてしまう。親であるゆえに、似ているところもあるだろうし、彼らに育てられた影響は大きいからだ。

母は父に隷属しているような状態だと私には見えているのだが、もし父にもう少し情があったら、母の知能がもう少し高かったら、彼らの関係は違っていたのかもしれない、と思う。父のモラハラは、話し合いで何とかなるものではなかったかもしれないが、父に辛い日々を送る母に寄り添う思いやりがあったら、母に今の自分の状況を変えるために父と互角以上に話し合える能力があったのなら、こんな関係にはならなかったかもしれない。

「情」や「知能」は、その人がもって生まれたものだろうか。後天的に身につくこともあるかもしれないが、その人がもって生まれたものなのではないかと私は思う。

私が直接的に嫌な思いをさせられてきたのは母であるが、そのような母にしてしまったのは父であるとも思っているので、どちらにも良い感情はもっていない。ただ、あれだけ嫌な目に遭ったのに、情のない父よりも情のある母の方が人としては好きである。

いくら知能が高くて賢くても、情が無ければ関わりたいとは思えない。知能が低くても、情があれば相手の心を動かすことができるものである。せっかく情があっても使い方を間違えると厄介ではあるが、情があるというのは、人との繋がりを作るために最も必要な能力なのではないかと思う。

明らかに、父にはこれが欠けていた。だから友人もおらず、母を支配することしかできず、子供とも親しくはない。親しい人が圧倒的に少ないのだ。情のある母がいなくなれば、孤独になるのではないかと予想している。

そして悲しいことに、私はそんな父に似ていると感じることがある。情が薄いと自分で思う時がある。

子供のころから人との繋がりを求めていたけれど、家族とは上手くいかず、友人も少ない。私はこれが苦手なのだと早いうちから気が付いていた。私の何が悪いのかと何度も考え、本も読み試してみたこともあるが、人付き合いは苦手なままである。

それでも、孤独な人生は嫌だと思う。

お金があって、年金ももらえて、生活の心配が無かったとしても、自分の周りに誰もいなかったら不幸である。年老いた時、夫もいない、子供も側にいない、友人もいない、社会とも繋がれないとなっていたら、たぶん私は辛くて生きていけない。

人生には、自分には何も非がなくとも、予測もできない不運や不幸が降りかかってくることはある。でも、40代になって人生の折り返し地点を過ぎ、自分がどう生きてきたか、その結果今こうなっているというのを感じずにはいられない。

父と同じような特性を持ってしまった自分であるが、これからどんな生き方ができるだろうか。もう少し情がある人間になれないものだろうかと、20・30代の頃とは違う方向に成長しようとしていることは明白である。

これから夫や娘とどういう関係を築くか、どんな家族関係を作っていくか、友人との関りはどうか、社会とどのように繋がっていくかというのを考え、実行に移しながら生きていきたい。…が、苦手分野なので夫と娘との関係を一番に据えて、コツコツと取り組んでいこうと思っている。