今、とても苦しい時期を過ごしている。
40代の二人目妊活「もう一度だけ頑張ろう」「もう十分頑張った」、どちらの気持ちが強いのだろう。こんな2択にして単純に考えようとしても、このモヤモヤは晴れない。答えは出ない。
一度目は胞状奇胎、二度目は稽留流産という結果に終わり、どちらも子宮内容除去手術を受けた。運が悪かったと言えばそれまでなのだけれど、運が悪かったで済ますには負担が大きすぎるとも思う。体への負担も精神的なストレスも大きく、大変だった。
たった一年で妊活・妊娠・胞状奇胎で手術・経過観察・そこから回復、二度目の妊活・妊娠・流産で手術と、まるでジェットコースターのようだった。精神的・肉体的な変化が忙しく、今私はものすごく疲れている。
悲しさはあまり感じず、とにかく疲れており、毎日体が重いのだ。何だこれ。鬱か?
そんなことを思いつつ、またやってきた悔しい気持ちと、この理不尽な仕打ちに対する怒り。自分でコントロールできる範囲が極端に少ない妊活で消耗したせいか、自分でいくらかコントロールできることに力を注ぎたくなってくる。これも心の回復のために、必要なことなのかもしれない。
どうせ3カ月は妊活を再開することができないのだから、暫くは妊活について考えたくないとも思う。何かほかに取り組めるものは無いかと、このブログのサーバーを移転したり、時々ブログで吐き出したりしていたが、何か物足りない。
そう考えた時、AIの勧めでnoteに書いてみることにした。
数年前にアカウントは作ってみたものの、やはりブログの方が好みだと思って放置していたのだが、自分で何かコントロール可能なものに挑戦がしたくなった。私にとっては一種のセラピーのようなものであろうか。妊活が思うようにいかない鬱憤を晴らすには丁度いいと、約1か月集中して有料記事3つとそれに付随する無料記事を数点書き上げた。
書くネタや文章は自分で考え、苦手なことはAIのサポートを受けながら公開してみる、という新しい試みである。
ブログは自由に書きたいのでAIのサポートを受ける気は全くないのだが、AIすげえ!という感動と共に、AIとの付き合い方を実践を伴う形で試してみたかった。とても面白い。
AIはすごかった。誤字脱字もなく、読みやすい完璧な文章と、人の目を引くタイトルや表現方法など、少し相談するだけでスラスラと答えてくれる。人間はAIによく研究されていると感じてしまった。これを暫く繰り返してみると、noteにはAIが考えたっぽい「上手い」タイトルが沢山あることに気が付く。
なるほど。AIは便利だからそりゃあ利用するよねと思いつつ、そういったタイトルの文章は読む気がしなくなった。なぜなら、AIに勧められるがまま書いた薄っぺらい文章なんだろうな、と感じてしまうからである。
AIは上手く表現してくれるし、恐らく一般的な文章力を持った人間よりも上手な文章を書ける。私よりも上手くて正確な文章が書ける。しかし、情報を提供すればAIに私っぽい文章は書けても、私の文章とはちょっと違うと感じた。これは感覚の問題なのだろう。
私は、AIには書けない文章が読みたい。ノウハウや解決策があること等は、その人の記事を読まなくともAIに聞けばある程度満足する答えが返ってくるようになってしまった。そういった事ではなく、その人が経験して感じたことや、その人独自の視点が読みたいのである。
AIを使うのであれば、どのようにAIを利用するか、どの程度AIを利用するか、ということに向き合ったほうが良いのだろうなと考えさせられた。自分で使ってみなければ、ここまで実感を伴って考える機会は得られなかったであろう。鬱憤を晴らす為に試してみたことであるが、いい機会に恵まれたと思う。
AIのサポートを受けつつ、noteで書いてみるという暇つぶしが見つかったおかげで、重い体を引きずりつつも暫くは楽しめそうである。
因みに私のnoteはここである→怠け者ルイス
