ホラーかよ! 老後のお世話は…

ホラーかよ! 老後のお世話は…

夏の怪談。

もう夏は終わり、イギリスでは肌寒くなってきた。先月は日本に帰省し、今月から娘の学校が始まったせいか、最近は家族のことや学校生活のことを考える機会が多く、気持ちを整理する為にもここで言語化している。

日本に滞在した際、母と夜に話す機会が多かったのだが、昔に比べてイライラしたり傷ついたりすることが減った。そのことにホッとしつつ、ホラーかよ!と感じたことが1つだけあったので記録しておく。

弟家族との同居が解消されたので、今後誰かの助けが必要な時、親はどうするつもりなのかという問いかけを母にした時のこと。お姉ちゃんに助けてもらうかなぁ…と言いつつ、ポロッと「てっきり〇〇ちゃん(私)に老後はお世話になると思ってたんだけどねぇ」と溢したのだった。

…私にとってはホラーである。何それ、怖すぎ。

子供を支配するには、可哀想な母であればいい

完全にホラーだけど、「やっぱり。そう思ってたんだ」というのが私の感想である。うん、気付いてた。なぜなら私は、子供のころからずっと『可哀想な母』の像を押し付けられ、可哀想な母の為に考え・行動するように育てられたからである。

先日のブログで、母は父を諦めたのだということに触れたが、母は父に隷属している状態なので父に助けは求められなかった。それなら、自分(母)を助けてくれるのは…の矛先が子供(娘である私)である。そして娘が自発的に自分を助けてくれるには、父に隷属させられ、子供のころから親がいない『可哀想な母』である必要があった。

その為に、頻繁に父の悪口を娘に聞かせ、いかに自分が辛い状況であるかを娘に訴え、幾度となく「私には親がいなかった。親がいるだけありがたいと思いなさい」と言い、いかに自分が可哀想かということを娘に吹き込み続けたのである。

洗脳ともいえるその育て方のおかげで、私は母の負担にならない様にと金銭面の我慢をし、どんなに辛いことがあっても親に頼ることも出来ず、それでも無意識に私の選択は『母の為』に何ができるか、ということに重きを置いたものとなった。母に愛されたかったからだろう。たとえそれが自分の都合のいい様に娘を支配する親であったとしても。

母の支配からの脱却

社会人になり、どうあっても自分にとって生きずらい今の状況をどうしたらいいのか、に向き合い続けた結果、自分の親との関係に問題があったことに気が付いたのである。母は私のことなど愛してはいないのに、大切になどされなかったのに、それでも追い求め続けるなど、なんて惨めなのだろう。

諦めよう。いくら私が頑張ったって、母はずっと可哀想な母でいたいのだから。母は不幸な母でいることを選んでいるのだ。利用価値がないなら要らないというのであれば、それはそれでいいじゃないか、と。

そうして、私は親から物理的にも精神的にも距離をおくようになり、自分の人生を取り戻したのである。

それまでは、私は漠然と『母の老後は私がみないと』と思っていた。可哀想な母には、きっと私が必要なのだと無意識に思っていたのかもしれない。母の支配が上手くいっていた。そんな私を『可哀想な母』が老後のあてにしていたというのだから、そりゃあそうだろうな、と思うのである。うん、知ってた。

結婚しない・子供もいらない

私は10代〜20代にかけて、結婚はしない・子供ももたない人生を生きると決めていた。

家族というものに良いイメージなどはなく、家族なんていてもコントロールされたり傷つけ合うだけだから、居ない方が絶対に良いと思っていた。また、私のような社交性もなく社会に適応できない人間が、子供育てるなんて絶対に無理だろうとも思っていた。

そして何より、自分の親のようになりたくなかった。不幸の連鎖は、ここで止めなければならない。

親に愛されてこなかった私が、子供を愛せるとは思えないし、子供に嫌われたり恨まれたりするかもしれない、と考えたらとてもではないが子供など望むことはできない。私は無意識に親の愛情を求めつつも、親を心底嫌っていたし、恨んでいた。

こういった理由から、1人で生きていけるようになろうと考えるようになったのだった。もしあのまま独身でいたら、母の支配から逃れるのは難しかったのではないかと思う。

今思えば、「これ以上、誰かに傷つけられることに耐えられなかった」から、家族も子供も望まなくなっていたのではないだろうか。。心が既にボロボロなのに、親だけでなくパートナーからも愛情がもらえなかったら、もしくはもらえなくなったら、きっと耐えられない!と。

親には一切相談せず、国際結婚・イギリス移住を決める

結婚しない・子供もいらないと思っていたのに、親の支配から逃れていくと、あら不思議!子供は無理でもせめてパートナーは欲しいと思うようになった。そう考えるようになって数年後、国際結婚をしてイギリスへ移住することになったのである。

親には相談せず決定事項を伝えただけだったのだが、結婚の報告をした際の母の第一声は「老後が心配」だった。ホラーかよ。

おめでとう、じゃないのかよ。でも、可哀想な自分の為に自分の側にいてくれるはずだった娘が、国際結婚して海外移住すると言ってくれば、そりゃあ老後が心配になるか。

親の支配が及ばないイギリスへ

10代の頃から海外で生活してみたいと思っていた。ここではないどこかへ行きたかった。この現実から逃げたかった。この親の支配から逃げたかった。

親から離れれば離れるほど、精神が安定する。物理的に離れれば、精神的に離れることが容易になる。きっとずっと前から私は、親の支配から離れたかったのだと思う。だからイギリス移住も全く迷わなかった。

ここなら『可哀想な母』の呪いが襲ってきて、どんなに胸がざわついても、私にできることは少ない。親の支配から逃れるには距離を取ることが一番効果的だと、つくづく思うのである。

もうあなたの言うことは聞きません、言いたいことは言います、私のことは私が決めますと、母に言葉でも態度でも示すようになって10年以上は経っただろうか。

簡単に支配できた子供が、簡単には支配できない相手に変わると、いくらか子供を尊重する姿勢がみられるようになった。親に都合の良い子供でいた時よりも、親にとって都合のいい子供を止めた時の方が大切にされているように感じるなんて、皮肉なものだな、と思う。

以上、私が体験したホラーなお話?でした。