実家で感じる父の支配と母との関係

実家で感じる父の支配と母との関係

16/09/2025

先月、歯の治療のために急遽日本に帰国した。

前回の日本帰国から約1年3カ月という短い期間での帰国。今回は急なことだったので夫は抜きで娘だけを連れ、実家に滞在させてもらうこととなった。

実家への拒否反応

空港から実家までは家族に送迎してもらい、実家には2週間も滞在させてもらう…とても恵まれた環境であるはずなのに日本へ行く前から気が重く、出国が近づくにつれ夜は眠れなくなり子供のころの記憶がフラッシュバックし、何とか行かずに済む方法を考える日々を送った。歯の治療をしなければいけない、娘の日本語にもいい影響になるからと自分に言い聞かせて、何とか航空券のキャンセルは思い留まることができたのである。

日本滞在中に4歳の誕生日を迎える娘を連れて、乗り継ぎありの長距離ワンオペフライトとなる為、体調は万全にしておきたかったが無理だった。日本に行く前から体調は悪く、着いてからも時差ボケと日本の猛暑や疲れが体に響く。実家で過ごした子供時代が辛かったこともあり、成長し状況が変わった今でも実家の居心地は悪く、滞在ラスト数日は眠れなくなり早くイギリスに帰りたいと思っていた。ここは私の居場所ではない、と。

家族間の支配が存在し続ける実家は、牢獄にしか思えないのだった。

今回の帰省では夫はおらず、今年の春に両親と同居していた弟家族が実家を離れたこともあり、それが色濃く感じられたのだろう。イギリスに帰ってきてから、2日ほど体が重くベッドから起き上がることができないほど、精神的にダメージを受けた。母と2人で海外旅行に行った時もこうなったので、これは親と関わると自分に起こる恒例行事なのである。

夫婦間の問題を解決せずに、その負担を子供に背負わせた親

家事・育児・仕事に忙殺されて余裕のない母にされてきた仕打ち、家族との関りが少なく働くことしかしてこなかった父の存在は、子供の私に大きな影響を与えてきた。今でも父と母の関わり方を見ていると複雑な気持ちになる。

夫婦間の問題を解決せずに、その負担を子供に背負わせた親。それがうちの両親である。

今までずっと、なぜ両親はもっと話し合わないのだろうと思っていた。家事・子育て・仕事と余裕のない母が私にしてきたことは、父が母と助けあえば防げたことも少なくないのではないかと思う。なぜ、母は助けを求めなかったのだろう、なぜ父と話し合い助け合うことを諦めたのだろう。

母がいわゆる毒親かもと気が付いたとき、最初は私は母との関わりが濃すぎて、父へは無関心に近かった。存在感が無さ過ぎたのだ。でも、時間が経つにつれてそれはおかしいと感じるようになった。

無関心な父

父も、無関心で関わらないという形で加担していたのである。母との辛い関わりには当然父も関係していて、父と母との関わりには社会が抱える問題も潜んでいることに気が付いてからは、母だけを責めることはできなくなった。

義父は私の父と歳の差は数か月なのだが、家事もやるし一人で孫も預かれるほど家族と関わっている。義父と関わると、いかに自分の父がクズだったかを思い知らされる。そりゃあ、母もああなるわ!と。

そして子供が自分たちの手を離れた今でも、母が全て父に合わせて生活しているのを見て、それを受け入れる母と、当たり前のようにそれを享受する父には嫌悪を感じた。父はいつも我関せずで、何かあっても自分のせいだとは思っていない。

ここで気が付いた。いや、知っていたけれど実感を伴っていなかったというべきか、認識が甘かったというべきかは分からない。

母は、父を諦めるしかなかったのだ。

父の不機嫌ハラスメントに屈した母

母が何かを訴えても、父の都合の悪いことは不機嫌という形でしか返ってこない。数日無視が続く、数週間敬語で話されるということが続き、母はこんな嫌な思いをするならもういいと諦めたそうだ。

父に変わる意思がない以上、母は諦めるしかなかったのだ。父は、自分の有利な立場を利用して母を支配した。家庭内では自分が一番優遇される、一番偉いのだという居心地の良さを変えたくなかった。

機能不全家族であった一番の元凶は、家族に無関心で母を大切にしなかった父である。

分かっている。父は変わるつもりなんてない。でも子供の私からすると、それでも母には諦めて欲しくなかった。嫌な思いをしようと、子供を守るために戦ってほしかった。支配は父から母へ、母から子供へと向かう。そして子供からは行き先がないか、姉弟間もしくは他の弱いものへ向かう。または子供が大人になったら、逆に親を支配する関係になるかもしれない。

家族の中心は夫婦。夫婦から子どもが産まれて家族になったのだから、夫婦の関係がとても重要なのに、夫婦の関係を改善させてこなかった。どちらも短絡的な思考で楽な方向に逃げ、子供が苦しんだのだ。

この支配が、実家には沁みついている。息苦しい。

父に大切にされない母

母が娘の幸せを喜べないのは、父に大切にされてこなかったからなのだろう。夫に大切にされている娘への嫉妬だろうと感じたことが何度もある。

母が実家を出ていった弟に裏切られたと執着していたのは、父に大切にされていなかったからなのだろう。母は認識していないかもしれないが、弟が母である自分ではなく妻を優先させたのが、ショックだったのではないかと思う。

父に1番大切にされていたら、母はこうして子供に執着しなかっただろうに。父が1番大切なのは自分で、母は父を1番に優先させている。じゃあ、誰が母を1番大事にしてあげられるの?

父が母を1番大切にしないとダメなんだよ。なぜ、こんなに単純なことに気がつかない?仕事はやり切ったのかもしれないけれど、夫として・父としての人間性は…と考えると、クズだなと思う。酒・暴力・ギャンブルとかはなかったけれど、マイナスがないってだけでプラスではない。

日本から帰ってきて、もう実家には夫や娘抜きでは帰れないな、と心から思ったのである。自分一人であの地獄の空間にはもう行けない。

母は自分で父を選んで結婚したから責任を持つ、と言っていた。お金に困るのも嫌だからと、そうやって今でも我慢して父の支配を受け入れている。父より先に死んだ方が楽だけれど、子供の為を思うと父の後に死んだほうが良いのだろうと言っていた。まあ、あの父を相手にするなんて大変だろうから、おっしゃる通りですとしか言えない。

今は母を可哀想とは思っていない。不幸で可哀想な母という立場を使い、子供をコントロールしてきたのだから自業自得である。父のことは、自分しか大切にできない寂しい人だなと思う。

父の嫌がらせ

今回の滞在で、自分のことしか考えない父の行動には嫌な思いをさせられたものである。

父は帰りの空港送迎をする気満々だったらしいが、私は余計な不安をかかえたくなかったのでスムーズに事を進めてくれそうな弟に頼んだ。それで父はへそを曲げ、体調が悪いから空港には行かないと言い出し、それに関しては私は全く構わなかったが、父が家に残るせいで弟家族が全員空港に来る羽目になったのである。

義妹と幼児2人で父と一緒に過ごすのはきついよね~分かる~家のこと何にもしない、自分のことしか考えない父と一緒になんて居たくないよね。弟家族の小さな子供2人連れて義妹も巻き込んで空港送迎。忙しいだろうし、幼児二人連れなんて負担だろうし申し訳なくて仕方が無かった。

これが母が言う父に嫌な思いをさせられるってことか!と。でも、娘がとても楽しそうだったので、母と弟家族に見送ってもらえたのはラッキーだったなと思う。温かい気持ちで帰国できた。

私がずっと求めていたもの

イギリスに帰って夫に会い、家に帰ったときの安心感は、私が子供のころからずっと欲しかったものだった。夫や娘と抱き合って感じる物理的な温かさ、安心できる空間、感謝や好意を伝える言葉の温かさは、ずっとずっと私が求めていたものだった。

今ある幸せは不変ではない。夫も私も変わるし、子供はどんどん成長していく。その変化の中も変わらず、夫と娘を大切にしていこうと思う。