娘に寄り添う、とは

娘に寄り添う、とは

この9月から、娘がprimary schoolのreception yearが始まった。これは、来年から始まる本格的な学校教育の準備をするための、一年間である。

娘に寄り添う

そして約2週間の慣らし期間が終わり、昨日から朝9時から15時までの生活が始まった。今までと違い、長時間学校で過ごすことを娘は理解していたのだろう。昨日の朝は着替えや歯磨きをなかなかしてくれず、ぐずって甘えてきたのだった。

早く準備してくれないと、初日から学校に間に合わない!と焦りつつ、なかなか準備をしてくれない娘に対しイライラし始めた私。ああ、どうしよう。このままだとキツイ言い方をしてしまう、場合によっては怒鳴ってしまうかもしれない、そうなったらますます準備などしてくれなくなるし、しばらく泣き叫ぶ姿が想像できる。

…私の都合を押し付けてはいけない、と必死に自分に言い聞かせる。なぜ準備してくれないのか、理由があるはずだ。そう考えつつ、甘えたな娘を抱っこする。

その時、まだ上手く言語化できないから私に伝えられないだけで、学校に行くのが不安なのかもしれないと思い至ったのである。言語化できないなら、私が手伝えばいい。

ママも娘ちゃんと一緒にいたいけれど、ここでママとずっと過ごすより、学校に行って先生や友達と遊んだ方が娘ちゃんは楽しいと思う。ママとずっと遊ぶのも飽きるでしょ?もしかしたらnurseryで仲の良かった友達と同じクラスで遊べるかもしれないよ?新しいお友達もできるかもしれないよ?何かあっても先生が助けてくれるから大丈夫、この前約束した紙の芋虫をママにも作ってきてくれない?

…等と抱っこしながら10分ほど話し続けたところ、娘の気が済んだのか、気が変わったのか、明るい表情で学校へ行く準備を始めてくれた。そして問題なく登校できたのである。

これが正解かは分からない。でも、少なくとも私は自分の都合を押し付けずに行動できたのだと、嬉しかった。

そしてその喜びに浸りつつ、思い出してしまったのは昔母に言われたこと。

子供に寄り添わない、とは

忘れもしない。中学1・2年でずっと仲の良かった友人に、無視や嫌みを言われるなどの嫌がらせを受けていた、中学3年生の時。あまりのストレスに私は連日夜も眠れず、せっかく寝られても夜中に息ができず金縛りにあうような感覚で起きてしまう、という日々を送っていた。夜によく眠れないので、当然朝も起きられない。

そんなある日、どうしてもベッドから起き上がれず、ああまた朝がきてしまった…学校に行きたくないけど、行かなきゃ…でも起きられない…ということを繰り返していた。もう学校の始業時間には間に合わない時間になったとき、何とか体を動かして学校へ行く準備をしたのだが、どうしても行きたくなかった。

一階には、私が二度寝したから遅刻するのだと思って不機嫌な母。いつも道り、不規則な生活をしているからと私を責めつつ、早く学校へ行きなさいという。

覚悟を決めて、母に言った。「学校に行きたくない」。

今まで耐えに耐えて、もう限界で、やっと言葉にできたSOSだった。

でも母の第一声は、「私も仕事に行かなきゃいけないから」。

それに加えて言われたのは、「学校は、行かなければならない所だから行きなさい」である。

学校に行くしかなかった。「仕事に行かなければならない母」の為に面倒をかけてはならない。

理由さえも聞いてもらえず、親の都合を押し付けられる

分かるだろうか、この絶望感。学校に行きたくない理由さえも聞いてもらえなかったのである。

ああ、誰も私の味方になってくれない、家にさえいさせてもらえない、この世界に私の居場所はないと、全てを諦めた瞬間だった。家にも居場所がないのに不登校になれるほど、私は強くなかった。

子供の私に逃げ場はなく、心を殺して私は大丈夫ですという顔を作り、ただ時間が過ぎて学校を卒業するのを待つしかなかったのである。この傷は何年にもわたって私を苦しめ、大人になって親から離れて深く息が吸えるようになるまでには時間がかかった。

子供に寄り添わない、とはこういうことである。

寄り添ってもらえるかは相手によるのだろう

この経験には、ちょっとした続きがある。私は美容師として働き、弟が高校生の時のこと。

ある日、仕事が終わり家で夕食を食べていた時、母から弟が最近元気がないから心配だという話を聞かされていた。母から聞く弟の話、それは別に構わないが、私が驚いたのは母が弟の状況や悩みの詳細を把握していたことである。

弟のことは興味あるのね。子供が傷ついたら、ちゃんと子供のことを考えてあげられるんだ、と。母は、弟には寄り添っていたのだ。

本当に、私は母から表面的なことしか見られていなかったのだな。母から見える私、だけしか見られていなかったのだなと、傷を抉られるような感覚だった。この経験も、私が母から離れる材料になったのである。

娘の子育てをすることで、自分が親にされてきたことに再び傷つく

母との関係が良くなかった私は、娘との関り方にはかなり気を付けている。

娘には親に守られている安心感を得て欲しい。子供であろうと、娘を一人の人間として尊重したい。その思いで娘と関わっている。

しかし、時々どうしても自分が親からどんな扱いを受けてきたのかを思い出してしまい、心かかき乱されてしまうのだ。そして、あまりにも娘の癇癪が酷いときなどは、私よりも恵まれた環境なのに!と娘を責めてしまいたくなる衝動に駆られてしまう。

娘を傷つけてしまえば自分を責め、娘を傷つけずに済んでホッとしたり、こういうことか!できて良かったと嬉しい気持ちになっても、子供の頃に親からされた仕打ちを思い出し、これはこれで自分の傷が痛む。

きっと、これの繰り返しなのだろう。

娘がもっと成長し抱える問題が複雑になったとき、私は娘を尊重し寄り添い続けることができるだろうか。自信がない。今度も痛む古傷と付き合わなければならないが、傷の痛みが和らぐ日は来るのだろうか。

娘にはこんな思いはさせたくないとは思うけれど、その思いが強すぎても良くない気がしている。私の都合を押し付けてはならないと、肝に銘じて生活するしかないのだろう。