先日、流産が確定した。
流産というものが、自分が思っていた以上に辛い経験だったので、記録に残しておくことにする。40歳での自然妊娠、結果は稽留流産だった。
妊娠して直ぐの頃から、トイレで用を済ませた時にペーパーを確認するとピンクのおりものが1日に1~2回ついていて、10日ほど経った頃からは時々おりものに薄っすら赤茶色の血が混じるようになった。数日出ては止まってを繰り返し、ある日の夕方、赤茶の血が二筋おりものシートに付いていた。
ここで何となく今回の妊娠は上手く行っていない気がしたため、検査を予約。さすがイギリスのNHSといったところか、なかなか電話が繋がらず、軽い出血があっただけで痛みもなかったので焦らずに待ったせいか、検査は明らかな出血があってから一週間後になった。
検査までの1週間で、前回の妊娠よりもつわりが軽い、少量を頻繁に出血している、腹痛・腰痛があってからいつもより多く出血する日があった、等を考えると40歳という自分の年齢を考慮しても流産かもしれないから、覚悟は決めておかないといけないなと思っていた。それでも大丈夫であってほしいという願いは、もちろんあったけれど。
検査当日、スキャン(エコー)で確認したところ、お腹の子は既に成長を止めていた。検査中、スキャンの画像は見せてもらえず、担当のソノグラファーは暫く無言でいろんな個所を測定していた。出血の頻度や内容の質問に答えつつ、重苦しい雰囲気だったので、あーやはりダメだったかと、ただ淡々と残念な結果を聞いた。
説明によると、成長が止まってから時間が経っていたようで、既に胎嚢の形は崩れてきているらしい。残念でしたねという雰囲気がいたたまれず、画面を見せてくれとお願いする余裕もなく、早くこの空間から立ち去りたかった。
結果を聞いたときは、予想通りだったなとすんなり受け入れたつもりだった。でも時間が経つと自分が流産という結果を、なかなか受け入れられないことに気が付く。体にはまだまだ妊娠初期の症状があるのに、ダメだったの?誤診ならいいのにと思ってしまう。
これが初めてのスキャンだったので、どこまで成長していたのか、いつ頃成長が止まってしまったのかも何も分からない状態だった。せめてスキャンの画像でも見ておけば、ハッキリとダメだったと受け入れられたのに…頼んで見せてもらえばよかったと後悔した。
その後、血液中のhcgを測定した。スキャンの直ぐ後とその約48時間後に採血をし、hcgの値がどう変化したかを参考に、何が起きているのかを確認するらしい。妊娠週数とスキャンの結果から流産は確定と言ってもいいほどなのだけれど、一応ルールだから調べるといった感じだった。しかし2回目の採血の後すぐに電話があり、スキャンでは明らかな流産なのに何故かまだhcgの値が増えていると、次の日に再度スキャンをすることになった。
2回目のスキャンはちょっと癖のある英語を話す男性だった。恐らくソノグラファーではなくドクターっぽい。どこの訛りだろう?ちょっと聞き取りにくいけれど、第二言語故にだろうか回りくどい言い方はせずにものを言ってくれるので、検査中に醸し出される残念でしたねの雰囲気が薄れて良かった。検査中のモニターも私に見せてくれたので、説明も理解しやすい。
ここで回りくどい言い方はせずにハッキリと「miscarriage」という言葉を聞いて、明らかに変形して崩れていた『胎嚢であったもの』を確認できて、ようやく流産を現実として受け入れることができたように思う。スッキリした。
2度目のスキャンで自分の子宮の中の状態を目の当たりにして、流産という結果を受け入れたとたん、悲しみ、虚しさ、怒り、悔しさ、喪失感など、様々な感情が襲ってくる。涙は出てこない。とにかく早く夫と娘に会いたかった。
次の日、子供をnurseryに預けた帰り道、もうすぐ家に着くといった頃、一人になったらもうダメだった。こらえきれずに涙があふれてきた。ここでやっと気が付く。流産が自分に大きなダメージを与えているということに。ものすごく自分が傷ついているということに。
もう40歳だから妊娠しにくいであろうことも、流産になる可能性が高いことも分かっていた。高齢になれば妊娠・出産に関わる様々なリスクが上がるので、もし妊娠できたとしても心配事は尽きない。運が悪ければ心や身体に大きなダメージを負うであろうことも分かっていた。
それでも流産は辛い。私の場合は、悲しいというより喪失感が強く、虚しかった。
運良く妊娠できたけど流産するかもしれないと不安に思いつつ、お腹の子供のために生活は大きく変わる。食べ物、飲み物には気を使うし、体もどんどん変わっていく。普段通りには過ごせなくなるので何かを我慢したり、辛いつわりやあらゆる妊娠初期の不快な症状に耐えながらも、安定期までは安心できないとドキドキしながら過ごす。
体調不良のせいで娘と遊んであげられなかったこともあったし、我慢もさせた。直ぐにイライラして、怒ってしまうこともあった。妊娠の影響でいつもと違う精神状態と、体の不調もあってやりたいようにできないイライラのせいで、娘に嫌な思いをさせてしまった。娘に対する罪悪感もあった。
その生活を数週間耐えたのに、結果は流産。怒りも感じる。悔しい。
いつかこの子に会えるから嫌なことも耐えられる。おなかの子に悪影響がないように、時にはいろんな制限を自分にかける。そうやって頑張ったのに、その生活は無駄になってしまった。
流産するかもしれないからと思いつつも、妊娠したらどうしても、子どもが産まれたら…とその後の生活をリアルに想像してしまう。ああしよう、こうしようとお腹の子がいるのが前提の、ワクワクするような明るい未来。でも、それはもう絶対に手にはいらない。流産したことで、散々想像していた「このタイミングで産まれてきたこの子と家族で生きていく」未来を失ってしまった。
頑張ったのに、いろいろ我慢したのに、その結果何も手に入らなかった。何度も思い描いた明るい未来は失われてしまった。
この喪失感。私には虚しいとしか表現ができない。
しかも、流産の種類によってもいろいろと違いはあるだろうけれど、流産には心だけじゃなくて体にも痛みが伴う。小さなお産と言われるくらいだから自然排出するにも痛みがあるし、手術で取り除くにしても体に負担はかかる。
流産後も、妊娠に伴って増えたホルモンの分泌も減って、体が元に戻るまでには時間がかかる。子宮が元のサイズに戻るまでは痛みもあるし、暫くは出血も続く。流産しました、はい直ぐに元通りというわけにはいかない。
妊娠して流産して元の体に戻る、それだけ変化する体と付き合うのだから負担になって当然だろう。そんな単純なことも自分で経験しないと分からなかった。言葉で、知識としては知っていたのに。
私は稽留流産なので、自然排出を待つのも辛い。もうお腹に命は無いのにまだ胸は張っていて、時々気持ち悪くなったり、腹痛・腰痛もある。もうダメだと分かっているから早く元に戻りたいのに、それもできない。何より、いつ自然排出されるか分からない恐怖。
結局、私は手術を受けることになった。
通常、イギリスでは自然排出を待つ、薬を使って排出を促す、手術を受ける(吸引法)の3択から選ぶことになるのだけれど、私の場合は胎嚢が崩れてしまっているのになかなか排出されないので、2回目のスキャンをしてくれたドクターの判断で手術で取り除くことになった。
手術は2回目スキャンの約2週間後(遅い!さすがイギリスのNHS 笑)なので、今はその時を待っている。自然排出しないかドキドキしながら毎日を過ごしている。
あなたは手術で取り除いたほうが良いと言われたら、それなりの理由があるのだろうし、それ以外の選択は怖くてできない。自然排出でも薬でも出血と痛みはあるだろうから、痛いの嫌だし。ここまでで、もう十分精神的にも肉体的にも辛い思いはしてきたから、できれば痛みを伴わないようにしたかったし、早く元の体に戻りたかったので、ストレートに手術を受けるという選択ができて良かったのかもしれない。
でも、流産の苦痛はまだまだ続く。
妊娠したからと気を付けていた食生活、つわり対策として締め付けないようにと変えた服装、出血が気になり控えていた娘の抱っこ、日常生活でもう気にしなくていい事や普通に戻して良い事に対峙する度に、胸が痛む。
これから暫くは外で兄弟仲よく遊んでいる子どもたちを見たら、胸が痛むのだろう。何年か経っても、あの子が産まれていたら今頃は…と想像する機会がくる度、胸が痛むのだろう。きっと時間が経っても、この悲しみと喪失感はきっと忘れられない。
流産する前は、「妊娠初期の流産は珍しい事じゃないし、原因の殆どが染色体異常なのだから仕方のないこと」という考えを当たり前のように受け入れて、だからそこまで悲しくはならないだろうと思っていた。そんなに長い事妊娠していたわけじゃないし、子どもは既に一人いるのだから、悲しいだろうけれどそんなに落ち込まないだろうと思っていた。自分が流産を経験するまでは。
実際に経験すると全然違う。上記のようなことは分かっているのに、この悲しみや虚しさが和らぐことはない。私はできる事なら経験したくはなかった。
流産かもと感づいたころ、流産が確定してから、自然流産を待っているとき、手術を受けることに決まってから、それぞれいろんな人の流産経験のブログを読んでいた。先の予想ができたし参考になったので、それにすごく助けられた。
でも、流産の経験やそれに対する考え方は人それぞれで、参考にはなったけれど、何か私とはちょっと違っていてしっくりこない。辛いから「高齢だし初期の流産はほぼ染色体異常が原因。仕方ない」と言い聞かせ、考えない様にするのが手っ取り早いのだけれど、ここで向き合わないと後を引く気がするから嫌だった。
そこで、流産に関する本を数冊読んだ。日本語の本を探したけれど漫画とかだったし、ピンとくるものが無かったので英語で探したら、数冊心惹かれるものがあったので貪るように読んだ。何度も泣きながら読んだ。その中の1冊が私の感覚に近い人の気持ちを取り上げていて、スッキリ。
できる事なら、妊娠したことも流産したことも話せる夫以外の誰かがいたほうが良いのだろうけれど、家族や友人で流産の経験がある人を知らないし、どう考えても安心して話せる相手がいなかった。どんなにいい関係の相手でも、たぶん私が聞きたい言葉が出てくる人はいない。経験しないと分からないってことを、身をもって知ったから。
だから、私はブログや本を読んで、自分の中で彼女たちと対話して自分の中で折り合いをつけていくことにした。それが自分に向いているし、傷ついた自分を守る一番の方法だと思ったから。無理に誰かに話すことはしなくていいけれど、自分の為の記録としてブログには残しておくことにした。
最後にもう一つ、流産の怖いところに触れておく。
子供が欲しいのであれば、次の妊娠でも流産するのではないかという恐怖と向き合わなければならない。流産を経験して、それがどんなに残酷で辛い事なのか身をもって知ってしまった。もうこんな思いはしたくないけれど、まだ子供を望むのであれば、また流産するかもしれないという恐怖と付き合いつつ妊娠・出産に挑まなければならない。
私はもう40歳を超えているから、運が悪ければまた流産ということも十分にあり得る。それでも頑張れるか?
私の場合、流産の虚しさや喪失感は、自分が求めていたもの、つまり妊娠して無事に子供を産み育てるという未来が手に入らない限り、どうにもできないのではないかと思う。そして、悲しみは何をしてもきっと消えることは無い。
だから、怖くても頑張るしかないのだろう。また流産して傷ついたとしても、せめて自分が納得するところまでやり切るしかない。やらないで後悔はしたくないから。