何となくわかってきたのだけれど、私にはまだこれを言語化することができない

何となくわかってきたのだけれど、私にはまだこれを言語化することができない

最近、変化を感じたことがある。

コロナの影響で変化が多く、健康面や経済的なことはこれからどうなるだろうかと心配ではあるが、今までのような孤独な不安は少しづつ和らいできている。私が苦手だった、友達作り・人との繋がり作りをしてきたからかもしれない。

数年前に考え方と生き方を根本から変えた方が良いと気が付いてから、少しづつ「こうしたら良いんじゃいか、ああしたら良いんじゃないか」…とやってきた。まだまだ学習の最中で終わりもないように思うが、何となくわかってきた。

考え方を変えたきっかけは、安冨歩さんの著書「生きるための経済学」だった。

単純にタイトルに興味をひかれて手に入れた。生きるための経済学があるのなら知りたいと思い手に取ったが、経済についての本だけれどよくある経済の本とは全く違い、衝撃を受けた本だった。

この本を読んで、今までの「選択肢を増やせばもっと自由になれるはず」といった考え方では、自由に生きられるはずがなく、このままでは私は幸せを感じられるはずがないと気が付いた。自己啓発本を読んで無理矢理やる気を出し、今まで頑張ってやってきたことは無駄ではなかったが、当たり前だと思っていた自由に対する考え方が完全に間違えていると気づき、衝撃を受けた。

もっと彼女の思想に触れたいと思い、次に読んだのが「合理的な神秘主義」。

内容が薄くてつまらない本が多い中、こんなに頭を刺激して楽しいと感じる本は今までなかった。先日、日本語に触れたくて久しぶりに読んだが、何度読んでも面白い。

上記がとても面白い読書体験だったので完全に安冨歩さんの思想にハマり、もっと読みやすい著書も読んでみて、一番読みやすく分かりやすかったのが「生きる技法」だった。

表紙に書いてあった『「助けてください」と言えた時、人は自立している』というのを見た時、何だかおかしなことを言っているなと思ったけれど読んでみたら納得で、今までの読書体験で一番の衝撃だったかもしれない。私が思っていた「自立」とは全く違う考え方で、今まで私が自立しようと頑張ってきたことが根本的に間違っている、この生きづらさはここからきている、と気づかせてくれた。

私のここ数年の行動は、この本に書かれていることがベースになっているが、自立した生き方にはまだまだ遠い。

安冨歩さんのこれらの著書を読んで、友達を作ろう、お金の使い方も変えようと実践している。

何となく変化を感じて、何となくわかってきたのだけれど、まだうまく言語化できない。

「言葉で理解していても、体験・体感が伴わないと本当に理解できているとは言えない」といった話を聞くが、きっとその通りなのだろう。この考え方すごい!とそれに出会いはしても、行動して実践していき、体験して体感しないと分からない。ほんの少し変化が起こってきただけで私はまだ途中だが、たぶんこれでいいのだろうなといった感じはある。

何となくわかる、という体感はあるけれど、モヤモヤしてハッキリしていなくて、言語化できない。これが言語化できたら気持ちが良いのだろうけれど、たぶんそれはまだ先のこと。

何となくわかってきて、長いこと続けてきた事でも私にとってはもう重要ではなく、意味がない事になってしまったものがいくつかある。考え方が違っていると、良いとされる方法も違ってくるので、もう私には必要ない事になってしまうのは仕方がない事なのかもしれない。

「…あー、こういうことか」と腑に落ちる瞬間と、何とも言えない恥ずかしさや悔しさと、そこら中にあるものがなぜこんなに間違っているのか、おかしいのか、こういったモヤモヤした違和感は私の中でこれからどう変わっていくのだろうか。

意味のない事ではなくて意味のあることをしようと決めてから、ずっと手探りだったけれど、何となくわかってきた。このモヤモヤがハッキリするまでにはもう少し時間がかかるだろうが、意味のないことは止めて、意味のあることを続けていこう。

止めよう、癖になっているけれど意味のない事。

…でも、止めるのも難しいんだよなあ。